ザザには分からなかった。どうして、こんな事になってしまったのか。
ザザはただ、父親を捜していただけだ。戦場でいなくなってしまった、父親を。
それなのに、なぜ?
こちらに向けられた銃口と相手の顔を見て、ザザは再び、その言葉を発した。
「なんでだよ……」
声が、震えていた。声だけではない。父の形見のリボルバーを握っている、汗ばんだ右手も。
ザザは、リボルバーを両手でしっかりと握り締めた。
ハンマーに指をかけ、相手の男にしっかりと照準を合わせる。
目の前の男へと。
――父へと。
足音を立てないように。こっそり、こっそり。
何度、そう言い聞かせているだろうか。決心がついてからホンの数分だというのに、ザザには何時間もこうしているように思われた。
短めなダークブラウンの髪に、歳の割りに小さく痩せっぽちな少年が、家の外壁に貼り付いている。
今夜は満月だ。
荒涼とした岩と草原の広がる土地に、星の光を遮るような光源などあるはずもない。真っ黒な空に浮かぶ大きな月は、村を青白く照らし出していた。
戦争が長引き、こんな辺境の村では商売もままならない状況。ケチな村長のお達しにより、夜の明かりは炎に限定されている。
それにも関わらず、村の外を見張るためにしっかりとサーチライトが備えつけられている。
軍人の不足により、こんな辺境の警備までは行き届かない。村から1歩でも出れば、そこは夜盗の巣窟だ。村を守るためなら、貴重な電気もこういうことに使うしかない。
と、いうのが村長の言い訳だが、ただ単にその方が都会っぽいっていう理由に違いない。少なくとも、ザザはそう考えていた。
何はともあれ、そんな村長の粋な計らいのお陰で、ザザは多方向からの光と影に気をつけなければならなかった。
(あと少しで、門のはず)
壁に貼りついたまま、角から見張り台を捜す。
別に見つかっても、命を取られる事はない。家へ追い返されるだけだ。
人の良い村人の事だ。上手くいけば、こんな夜更けにブラブラしている理由も訊いてこないかも知れない。
だが、人が良いが故に、盗賊や野生動物がウジャウジャいる村の外へは、絶対に如何なる理由でも行かせてはくれないだろう。
(ぜってーワザとだ)
ザザは、自分の師匠を恨んだ。
わざわざ時間帯を夜に指定したのも、ややこしい条件が1番そろっているからに他ならない。
あの人の事だ。村1つ突破できないで、どうやって平原を渡るんだ、という事なんだろう。
(こうなったら、ぜってー辿り着いてやる)
ザザは半ばやけになりながら、村の外にある、猟師小屋を目指した。
サーチライトの灯りを辿って行く。その先に、貧弱な薄い塀とは不似合いなほど巨大なサーチライトが、闇を裂くように地面を照らしている。
この1番の脅威も、村の四方に設けられた門に1台ずつ設置してあるだけ。それも、一定の速さで回っているだけだった。
少なくとも、自分の身長の2倍は優に超える塀を登るのは、至難の業だ。登りきる前に見つかるのがオチだろう。
それなら、門を正面突破するしかない。
所詮は素人。両脇に立っている見張り台の村人2人は、食い入るように外側を見つめている。
(行け、オレ。ピンポンダッシュで鍛えた逃げ足を、今こそフル活用する時だ!)
あまり、大っぴらに出来ないかけ声を心の中でかけると、ザザは門を目指して走り出した。
距離は5〜6m。門に達する頃には最高速度に乗っているはず。
特に理由のない、適当な推測をしながら、ザザは腕を振った。
見張り台の2人の他にも、門の外側の両脇に2人の村人が立っている。
だが、どうせ白髪の生え始めた爺さんだ。いざとなったらタックルをかまして突破する。
事前に見張り番の順番を調べ、若者が番をするのは、もっと夜が更けてからだという事を知っていた。
イケる。余裕の笑みを浮かべて、門を通過したその時だった。
何かにつまずき、バランスを崩しながらも、なんとか立て直す。
それも、その何かが切れたからなせる業なのだけれど。
そんな事を考える間もなく、岩の砕けるような轟音と、足をすくい上げられる感覚に襲われた。
「うええええええ!?」
何とも疑問と混乱に満ちた叫び声とともに、そのまま視界が遮られる。
そのまま背中や顔をしこたま打ち付け、意外と痛みを感じないながらも、弾力のある斜面を転げ落ちた。
「不審者だ! 気をつけろ!」
ようやく落ち着いたと思いきや、まわりからそんな大声が聞こえる。
置くところ置くところ、沈み込む奇妙な感覚に顔をしかめた。
その中で見た景色は、黒。見事な闇だった。
「こいつ、いつの間に門のところまで来ていたんだ?」
突然、声が近くなったと思えば、下が硬くなり、平らになった。
「おい、お前! 少しでも動いてみろ。頭に風穴が開くからな!」
結構、物騒な台詞の後、ようやく視界が開けた。
暗闇に立ち込めていた土臭ささを掻き消すように、息を吸う。急に冷気が流れ込んできた事により、鼻が痛んだ。
「な、何でお前が!?」
予想していた戸惑いの声に、ザザはちょっとウザったそうに顔を上げると、これまた予想したような、戸惑いの表情が見えた。
「ジャックんとこの息子じゃねえか!」
見てくれは最新鋭のサーチライトを搭載しておきながら、極めつけのトラップは何て原始的なのだろう。
ザザ・ララサバル。一生の不覚であった。
「で、何であんなところを、あんな時間にうろつき回っていたんだ?」
踏ん反り返ったせいで、ただでさえパンパンに張り詰めていたボタン周りが、限界にまで引き伸ばされる。
この村では珍しい、腹回りの立派なちょび髭の男。
その男のいちいち癇に障る喋り方を、ザザは必死でで聞き流していた。
目の前の男のように敵意を出している訳でもないが、その周りに立っている村人も、訝しげな視線をザザに送っていた。
視線を少し上げれば、友人たちが、にやけながら窓いっぱいに張り付いている。目が合ったかと思えば、慌てて逃げていった。
(あいつら……)
「お前のような小僧が、何をしていたと訊いているんだ」
今度は指差しつきで、嫌味を込めて言われた。
さすがに目つきまでは誤魔化せられそうにない。
もともと、ザザはこの男が嫌いだった。
ここ、ミルフの人間だが、ちょっと都会で暮らしていた事があったからといって、村を田舎だと鼻で笑っている、この男を。
「ったく。だから親なしの子供は……」
本人いわく、『普通でない家庭』の者をこれでもかと攻撃する、この男を。
「しかも軍人の子供と来た!」
軍人嫌いは個人の勝手だが、立派に戦った父親を侮辱する、この男を。
「村長ごめん。ゴンザレスが寒さにやられてないか心配だったからさあ」
パンッと手を合わせて頭を下げる、ザザのとんでもない言い訳に、村長は何とも珍妙な表情をした。
「ゴンザレス……?」
まわりの大人たちも、それぞれ顔を見合わせている。
「あー、ゴンザレスねえ。お前、世話してたんだあ」
そこへ、この緊迫した雰囲気に不似合いな、のんびりとした声が割って入ってきた。
振り返った先には、黒髪のすらっとした少年が、ドア枠に寄りかかって立っていた。
人の良さそうな笑みを浮かべ、ザザに「よ!」などと言っている。
「ここには来るなと言っているだろう。レオン」
そう言って村長は、苦々しげに自分の息子を睨みつけた。
「わりい。ザザが何かやらかしたって聞いたからさあ。ま、今回は勘弁してくれよ、とーちゃん」
「とーちゃんなんて田舎っぽい呼び方はやめろ、レオン」
役職が村長っていう時点で十分、田舎っぽいと思うのだが……。
その場にいる誰もがそう思ったが、実際に口に出して言うものは誰もいなかった。
「で、そのゴンザレスってのは何なんだ?」
ゴホン、と咳払いをして村長は話を戻す。基本的にこの男は、身内に甘かった。
「ちょっと前に見つけたイグアナだよ。ザザ、この寒さじゃ多分、外で凍死してるのがオチだと思うぞ?」
イグアナの凍死なんて初耳だ。誰もが心の中でツッコンだが、実際に声に出した者はいなかった。
「えー!? せっかくヒヨコ持ってってやろうって思ってたのに!」
なんつー残酷な事をやらかすつもりだったんだ。村人の誰もがそう思った。実際に口にした者はいなかったが。
「全く。そんなくだらん事でこの騒ぎか! レオン、友達は選んだ方が良いぞ」
そう吐き捨てると、村長は誰よりも早く役場を出て行った。
「もう遅いし。こいつ送ってくよ」
そして、そんな父親に続き、レオンはザザの腕を掴んでさっさと出て行った。残された大人たちに、先程のような人の良さそうな笑みを振りまきながら。
「どうだった? オレのイグアナ説。結構、良い線行ってると思うんだけど」
「60点」
のん気にグッと親指を立てるレオンを、ザザはたった一言で一蹴した。
「インパクトに欠けるんだよ。せっかくワニって設定を立てといたのに」
「いや、ここら辺ワニなんかいないから」
純然たるボケなのか、本気なのか判断に苦しんだが、レオンは取り合えずザザに裏手ツッコミをかましてみる。
今の今まで、オチャラケた態度を取り続けていたレオンだが、ツッコミに使った手を戻す頃には、硬い表情へと変わっていた。
「言えよ。本当の理由」
一瞬、ザザの足取りが止まりかけたが、すぐにまた動き出した。
「オレにも言えない事か?」
ザザは何も言わなかった。いや、言えなかった。
レオンは、ザザが4歳の時にこの村へやって来た。
1つ上なのにも関わらず、意外と頼りない幼馴染ではある。
それでも、両親が死んだ時も今日のように何か困った事があった時も、いつも側にいてくれた。何かあれば、必ず真っ先にレオンに相談し、レオンも親身になって聞いてくれた。
しかし、今回ばかりはそうはいかない。あの手紙の内容をそう易々と明かす訳には、いかないのだ。
レオンだからこそ。
「何ヶ月も、考えたんだ」
ポツリと零したザザの言葉を聞き、レオンは歩みを止めた。
「今日、決めたんだ」
視線と視線がぶつかり、2人は顔を向き合わせる。
「ここを、出て行くって」
障害物など何もない塩田だ。夜も深まり、更に冷たくなった風が、2人の体温を容赦なく奪っていく。
「理由は?」
「知りたいか?」
質問を質問で返されたが、答えなどとっくに決まっている。
「誰にも言わない。教えてくれ」
突然、ザザは帰るべき方向とは違う道へ曲がった。そのまま振り返ることもなく言う。
「なら、ついて来いよ」
ザザのつれて来た場所は、四方の門の内、ザザが逃げ出そうとしていた門の隣に位置する場所だった。
「おい、ここに何があるんだって言うんだよ」
首を傾げて訝しがるレオンに対し、ザザは無言で門を指差した。
「あの門を通ってみ」
予想外の言葉に、レオンは更に眉間にしわを寄せた。
「だまされたと思って。そうすりゃ分かるから」
あまりに懸命に頼むので、レオンは首を傾げて頭を掻きながら、ゆっくりと進んでいく。
隣の門番全員が、未だに役場に行っているため、見張り台に2人立っているだけで、地上には誰もいない。
やはり、一生懸命に外のみを睨みつけている門番を眺めながら、「これじゃあ簡単に出られそうだな」などとのん気に考えていた。
意外にあっさりと門まで近付く事が出来、真下を通過しようとしたその時。
ブツンという、何かが切れる感触を、レオンは足に感じた。
嫌な予感を感じると同時に、何かに足を取られ、視界を遮られる。
「のえええええ!?」
それはもう、間抜けな叫び声がした時には、突如として地中から現れた巨大巾着によって、レオンの姿は消されてしまっていた。
「何だ!?」
門番が騒ぎ立てるよりも早くに、ザザは宙吊りになった巾着袋の横をすり抜けていた。
騙された。完全に、騙された。
「ザザ! てめえ!!」
「ごめんな、レオン! この恩は一生忘れねえぜ!」
滅茶苦茶に暴れる中身のせいで、巨大巾着がクルクル回りながら、振り子のように揺れる。
ザザは自慢の俊足を惜しげもなく発揮し、遥か遠方へと消えていった。
後ろから、「チビ!」だの「豆!」だの聞こえたが、今回は無視をした。
ほんの少しだけ後ろめたさを感じながら、それでもザザは走った。
あの手紙がイタズラだったのなら、そんな事のために親友をつき合わす訳にはいかない。
逆に本当の事なら、それは結構……いや、相当、危険だ。
それこそ、親友をそんな危険な事に巻き込ませる訳にはいかない。
ザザは、ポケットの中にしまった手紙を握り締めた。
「遅かったなあ」
開口1番の言葉に、ザザは眉をひそめずにはいられない。
額から眉間を通り、右頬にまで伸びる大きな傷跡を持った、白髪の大柄な男を睨み上げる。
「夜じゃなくて昼だったら、余裕で出てこられたんだけどな!」
「それじゃあ、意味がないだろお」
白髪が生えるにはまだ若い、それでも小皺の入った顔が緩められる。もともと大きくはない目が更に細められ、ダークレッドの黒目がまぶたに隠れた。
「とりあえず、合格だあ。準備が出来次第、出発すっかあ」
ガハハ、と豪快に笑い、男はザザに背を向ける。
「先生」
「気持ち悪いなあ。普段はそう呼ばねえのに。何だあ?」
男が、おちょくるように笑いかけたが、ザザの顔を見るなり無表情になった。
いつもの小生意気なしてやったり顔は、そこにはなかった。
ザザは、真っ直ぐ男を見上げ、頭を下げる。
「今まで、ありがとうございました。それと、ジャヌヴァまで、首都まで、よろしくお願いします」
男は、壁にかかっていたバックを取り、ザザに手渡した。
「おう、よろしくな」
ニイ、と拡げられた口角から、白い歯がのぞく。
「ま、これも何かの縁だあ。そんな大仰に構えなくても良いだろお」
そのまま男は、隣の部屋へと消えた。
突然のお手紙を差し上げる無礼をお許しください。
取り急ぎ申し上げます。
貴方のお父様は、生きておられます。

