『優勢だったものの、両軍ともに疲弊――』
閑散とした室内には、戦況を伝えるラジオ放送が流れている。
村長席に座っている禿頭の男は、押し黙ったままニュースを聞いていた。決して良い内容ではないニュースに合わせるように、険悪な雰囲気を漂わせて。
「あなたが言ったんでしょう。ザザ君を連れて帰るまでは、村には入れないって」
応接用のソファに座った女性が、呆れた表情で村長をたしなめた。
自分で入れた紅茶を飲みながら、中年の女性はなおも続ける。
「いい加減、意地を張るのをよしたらどうです? レオンもあなたに似て、頑固ですから」
『――停戦協定が行われていますが、今回も進展の兆しは見られなかった模様です』
「うるさい!」
八つ当たりとばかりに、村長はラジオを叩き消した。
「ああ、もう。壊れますよ。そんな事をしたら。ただでさえ予算が厳しいんですから」
「うるさい! うるさいうるさいうるさーい!」
村長は、貧乏に類する言葉が何よりも嫌いだった。
「ここまで田舎だと、情報もなかなか手に入りませんし」
「黙れ!」
それと同じくらい、田舎に類する言葉も嫌いだ。
(都会コンプレックスの時点で十分、田舎者でしょうに)
あまりにも的を射すぎているので、声に出すのは自粛する。
「なあ、エマニュエル。お前は心配じゃあないのか? 一応、曲がりなりにも母親だろう?」
「一応、曲がりなりでなくともれっきとした母です。あんな風に追い出されたら、誰でも簡単には帰ってこれませんよ。今回ばかりは、あなたも反省なさい」
「そんなあ……」
頭のせいで村長の方が老けて見えるが、実際には妻の方が年上である。
どんなに踏ん反り返ってみても、姉さん女房に勝てた試しがなかった。
「エルナンデス村長! 猟師小屋にこんな物が!」
村長がうなだれているところに、役場の職員が飛び込んできた。
「何だ。ノックもしないで」
「息子さんの書き置きですよ!」
「なにい!? それを早く言わんか!」
村長は職員の男から紙を奪い取ると、丁寧に折られた紙を乱暴に開く。きちんと端をそろえて折られた紙は、今にも破れそうだ。
左から右へ、村長の眼球が面白く動いていく。
しばらく経ち、村長は次第に肩をわなわな震わせ始めた。
音もなく立ち上がったレオンの母は、村長の後ろから、紙に殴り書かれた文字を読んだ。
『ちょっとザザについて行きます。マスターもいるので大丈夫です。
だから母さん、心配しないで下さい。
それで、小屋は村で好きに使って良いと、マスターが言っていました。
で。そういう事だから、ぜってー帰らねえからな。泣いて頼んだってしばらく帰らねえぞ。
覚悟しとけよハゲ親父!』
遅れて読み終わったレオンの母は、目を丸くして口元に手を当てた。
のんびりと、「まあ……」などと言いながら。
「誰がハゲ親父だこの野郎!」
自分のチャームポイントおよびコンプレックスを刺激され、村長は書き置きをグシャグシャと引き裂いた。
「今度という今度はもう許さん! 勘当してやる! 絶対、勘当してやるぞ!!」
「ねえ、じーさん」
「なんだあ?」
「この席順って、もう決定?」
湿った空気が立ち込める草原を、1台のジープがひた走る。すでに乾き始めた大地から、砂煙が上がっていた。
運転席には、白い髪の生えた大男が座っていた。じーさんと呼ばれてはいるが、男は年寄りという訳ではない。目元の小皺の深さを考えれば、まだ中年と呼ばれる歳である。
「良い眺めだろお。特等席じゃねえか」
豪快に笑うマスターの横で、スパーンと小気味良い音が響いた。
「だから! なんでオレなんだよ!?」
助手席に座っているレオンが、頭を押さえて抗議する。
ザザは、不機嫌な表情を隠す事もなく、顔を逸らした。今にも荷物が崩れ落ちてきそうな荷台の中で、小さく体育座りをしている。
「尻の下が固い。足伸ばせない。せまい。きつい。絶対いつかつぶされる」
不満が次から次へと飛び出すザザを置いて、草色のジープは平原を進む。
「上に登れば良いじゃねえか。風が気持ち良いぞお?」
「オイル缶の上なんて恐すぎるであります、せんせー」
いつも気のせいだと思い込む事にしていたが、この時ばかりは、ザザはマスターを鬼だと思った。
「って言うか、窪みで車がバウンドした日にゃ、下に落ちるな」
さすがにレオンも、気の毒そうにザザを見ていた。かと言って、席を譲る素振りなど見せなかったが。
「ま、そんな事よりもだあ。これからのルート確認すっぞお」
「そんな事じゃねーし!」
「レオン。ちょっとこれ開けて、読み上げてってくれえ」
ザザの叫びなど無視して、サクサクと話が進められていく。
「みんな大っ嫌いだー」
「マスター、2枚目だけで良ですか?」
物の見事に潔い、アウトオブ眼中だった。
2枚目の手紙も、丁寧な言葉遣いで書かれていた。
言葉遣いに見合うだけの、それでも一目で読める達筆な文字が、白地に広がっている。
「まず、ジャヌーヴの首都ジャヌヴァまで行って下さい。私の信頼できる人物を迎えさせます。
ジャヌーヴからサルジュアルドの首都カスルまで、その人物に案内させます。そこで落ち合いましょう。
なお、ジャヌーブからサルジュアルドまでは、正規のルートを通らない事を明かしておきます――」
そこまで一気に読み上げると、レオンは顔をしかめた。
「要は、ブローカーを通して不正出入国して、サルジュアルドの首都まで行けってことだろ?」
そして、手紙をサイドボードに叩きつけた。眉間にしわを寄せ、頭が痛そうに額に手を当てている。
「なー。丁寧な人だよなー」
「だから! 丁寧とかじゃなくてヤバいんだって! 政府に気づかれてみろ逮捕モンだぞだから言ったんだよオレはやめとけってだいたい怪しいだろうが顔とか年齢とか以前に男か女かも分かんねえんだぞそんな得体の知れない奴の言うことなんて聞けるわけが――へぐぁ!」
マシンガンのごとく繰り出されていたお説教が、マスターが踏んだブレーキペダルによって阻まれる。
レオンが顔面を押さえて悶絶する後ろで、ザザは崩れてきた荷物に埋もれ、もがいていた。
「なんだよ急に!」
被害者約2名が、仲良く声をそろえて抗議する。
「いやあ、あれがなあ」
ボロボロの2人を前に、マスターは頭をポリポリかきながら前方を指さした。
広大な平原を1人の少女が走っていた。
「またかよ」
レオンが、視線の先を睨みつける。
歳は2桁いくかいかないかという少女が、自分の背丈と同じくらいの草むらを必死にかき分けている。
その後ろから、軽トラックが蛇行をくり返しながら、少女に迫って来ていた。
「じーちゃん?」
一通り、銃に弾が装填されているか確認し、ザザはマスターの顔をうかがった。
「助けに行こうぜ!!」
レオンは、ザザの持っている銃を1丁ふんだくり、車から飛び降りた。
「妙だな……」
「え?」
肝心のマスターは、目を細めるばかりで車を降りる気配がない。しばらく、少女と軽トラックを見つめていた。
「ま、とりあえずは助けてやらねえとなあ」
そう1人ごちると、マスターも銃を手に取り、車を降りた。
「オラオラア! もっと速く走らねえとひかれちまうぞお!?」
少女は、悲鳴に近い呼吸をくり返しながら走っていた。窪みに足を取られながらも、軽トラックに追いつかれないように腕を振り続けている。
そんな少女をあざ笑うかのように、男たちはわざと追いつくかつかないかという距離を保ちながら、少女を追い回している。
「あ!」
とうとう、少女は足をもつれさせて地面に倒れ込んだ。
少女をひく直前で、軽トラックは何とか止まった。両方のドアが開き、ナイフを持った男が2人出てくる。
「とりあえず、持ってるモン全部出してもらおうか」
1人が、1つに束ねられた黒髪をつかみ、少女を立たせる。
「何も命までは取らねえよ。金めの物さえ出せば、すぐにずらかる――」
典型的な悪役台詞が、身体の心を揺さぶる轟音にかき消された。ナイフの鞘が爆ぜると同時に、男の手からナイフがふっ飛ぶ。
「オレってすげー!」
まだ煙を立てているリボルバーを構えながら、ザザが叫んだ。
その横をすり抜けて、マスターがもう1人の男の両腕を小口径のピストルで撃ち抜いた。
「詰めが甘いぞお」
「はーい……」
ほぼ毎回くり返されているやりとりをして、ザザは少しふて腐れている。
「お前ら……。なんでそんな足速いんだよ……」
誰よりも速く車を降りたはずのレオンが、やっと到着した。ふと、「もしかしなくても、オレって相当足手まとい!?」という不安が過ぎる。
「痛え!」
ザザに撃たれた男が、擦過傷と火傷を負った右手を押さえたことで、少女は解放された。
そのまま少女は、ザザたちの方へ走ってくる。
「バカ! 伏せてろって! 撃たれるぞ!!」
まだ、強盗の1人は片腕が使える。ナイフだけでなく、銃を持っている可能性が十分にあった。
「ちきしょ……!」
ザザが、もう一度男に照準を定めたその時だった。
「覚えてやがれ!!」
あまりにも典型的すぎる悪役台詞を吐き捨てて、強盗の2人は車に飛び込んだ。目にも留まらないとは、こういうことを言うのか。鮮やかなドライヴィング・テクニックで、軽トラックはバックのまま遥かかなたへと消えて行った。
「ぇえ〜?」
納得できない。言葉にしなくても分かるような声を出しながら、ザザとレオンはマスターを見上げた。
「俺に言われてもよお……」
マスターは、2人の視線から逃れるようにあさっての方向を向いた。
そこへ、少女が足をもつれさせながらも、ザザたちの前までたどり着いた。そのまま止まる気配はなく、走りながら両手を広げている。
「お、大丈夫だったか?」
急いでザザも両手を広げ、少女を迎えた。
余程恐かったのか、少女の真っ黒な大きな目には、薄く涙が溜まっている。
小さなしゃくり声を上げながら、少女は大きな胸に飛び込んだ。
中腰になり、大きく腕を広げるザザの横を通り過ぎて。
「よしよし。恐かったな」
ぎゅっと服をつかんでくる少女の頭を、レオンはなでている。少女は少女で、手を離す気配はない。
「こいつ何もやってないじゃん!!」
文字通り、ザザは声を大にして叫んだ。その声に、少女は肩を跳ね上げさせる。
「ダメだろ、恐がらせちゃ」
少女は、堰を切ったように大粒の涙をこぼしている。
その少女をさらに固く抱きしめて、レオンは不機嫌に注意した。口元が歪み、痙攣を起こしていたが。
ザザは、奇妙なうめき声を上げながら、頭を掻きむしった。
そして、本日第二弾。
「みんな大っ嫌いだー!!」
「んで、父ちゃんと母ちゃんはどうしたんだあ? まさか、1人でこんな物騒なところをほっつき歩いてたわけでもねえだろ?」
ようやく、少女が落ち着いたところで、マスターはしゃがみ込んで少女の顔をのぞき込んだ。
当の少女は、未だ潤んだままの瞳を落ち着きなく泳がせている。
「なあに、そんな不安がらなくても良いってえ。オジサンたち、見かけは胡散臭いけど、れっきとした善良な地元民だからよお」
「いや、マスターは地元じゃないでしょう」
「むしろ、うさん臭いのじーちゃんだけだから」
レオンとザザから手厳しい意見が飛ぶが、マスターはそれをすんなりかわして、少女に笑いかけた。「にい」と、擬音まで口にして。
もともと、顔の傷さえなければ、典型的な"人の良い顔"である。少女が、つられて笑みを浮かべるのに、そう時間はかからなかった。
「お父さんもお母さんも、村にいるよ」
レオンに引っ付いたまま、少女はマスターの質問に答えた。
「嬢ちゃん1人だけかい?」
いぶかしむマスターに、少女は首を縦に振った。
「マスター、送って行った方が良いんじゃないか? また何かあっても気分が悪いし」
レオンの提案に、マスターはしばらく考え込む。
「そんな離れた村じゃねーだろーし。時間の心配はないと思うよ?」
「ま、そうだな」
そして、ザザの言葉にようやく腰を上げた。
ちょうど頭上から降り注いでいた太陽が、だいぶ傾いた頃。ザザたちを乗せたジープは、まだ草原を走っていた。
もちろん、まだ助手席には少女が座っている。
「マスター! もうちょっとソフトに運転して下さいよ!」
そして、レオンはこれで何度目かのくぼみに声を上ずらせていた。燃料の入ったドラム缶にしがみつき、縮こまっている。その腰は完全に引けていた。
そんなレオンの様子を、ザザは荷台の隅から、薄ら笑いを浮かべて見上げていた。
「ザザ! お前の方が体重が軽いんだから、オレと代われよ!」
「レオンは足が長いから、ここには収まらねーよ。それに、上に行ったら吹っ飛んじゃうかもしんねーだろ。オレ、ちびっちゃくて体重軽いから」
「こいつ……っ」
明らかに悪意のこもった笑みに、レオンは歯を噛み締める。
一方、前の座席でも不穏な空気が流れていた。
「本当にこのまま走って良いのかあ? もう3つは村を越えたぞ?」
困り果てたマスターに、少女はこれで何度目かの肯定の返事をした。
日差しは相変わらず強いものの、草原に伸びるジープの影は、明らかに長くなって来ている。少女と出会った場所からここまでの距離を考えれば、少女が1人で、しかも徒歩で移動してきたとは考えられなかった。
「この先の崖に沿って、右に行って。そしたらすぐだから」
少女の言うとおり、南北に渡って地面がなくなっていた。その先の地面は、遥か下方に広がっている。
そして、しばらく走ったその先に、草原を遮断する塀が見えてきた。
「あの村!」
目を輝かせて、少女は立ち上がった。
すでに太陽は地平線に近づき、徐々に赤みを帯び始めていた。
「まあ、距離は稼げてるんだから良っかあ。嬢ちゃん、悪いが一晩泊めてくれないかい?」
マスターが、眉を下げながら笑いかけたその時だった。少女の表情が、一瞬だけ止まる。
「うん、助けてくれたお礼! 泊めてくれるように、お父さんとお母さんに頼んでみる」
遅れた分を取り返すように、少女はすぐに頬を緩めた。
気にかけなければ気づかないほどの小さな間に、後ろで騒ぐ2人が気づくことはない。
徐々に近づくにつれ、ザザたちは塀の高さに感嘆した。高さだけではない。その上に備え付けられている見張り台も、一面に見られる砦柵も、ザザたちの村以上の警備体制である。
「なんっつーか。物々しいな」
「むしろ、親父のサーチライトよりもこっちの方が頼りがいがないか?」
「まず、盗賊は寄りつかないなあ。結構結構」
口を開けて呆けているザザとレオンに対し、マスターはやはりのん気に笑っていた。
故郷のミルフと同じように、見張りが2人門の両脇に立っている。彼らの指示に従い、車体が塀の内側に入ったところでジープは停止した。
「すみませんねえ。ジープが置けそうなところがないもので。日が暮れれば、門は閉めてしまいますので、ここでも良いですか? 宿屋まで、そう距離はありませんから」
見張りの1人が、そう言いながら近づいて来る。マスターと同じく、肌はザザたちよりも白い。ここでは珍しい、金髪で緑の目をしていた。
「あんた、国境付近の人間かい?」
マスターは、左腕を背もたれに置き、後ろから来るその男を見た。
「ええ。ちょうど町が戦場になってしまったんでね。逃げて来たんです」
猟銃を携えた男は、マスターに劣らず、人の良い笑みを浮かべている。
金髪の青年の後から、もう1人の見張りも近づいて来る。
「……そうかい。あんたも大変だなあ」
ハンドルに置かれたマスターの薬指が、ピクリと動いた。
突然の地響き。先程まで、遥か後方にまで伸びていた道は、分厚い木製の門に阻まれて見えなくなっていた。
一番後ろの見張り番が、猟銃をこちらに向けた。
ばん!
ミルフにいた時も、出てからも聞いていた低い銃声ではない。乾いた破裂音が、1回だけ響く。
「うああ!」
銃口をこちらに向けていた男と、ザザのすぐそばから声が上がった。
猟銃の引き金と一緒に、男の人差し指もなくなっている。
そして、リボルバーを構えたザザの足元には、荷物の隙間に頭を突っ込んでひっくり返っているレオンがいた。
今まで満面の笑みを貼りつけていた、マスターと金髪の青年の2人が、今ではお互いに睨み合っている。
マスターが、自動拳銃を取り出した。
金髪の男も、それに反応して猟銃を上に掲げる。
そして、投げた。
マスターは、顔面に飛んできた猟銃を紙一重でかわし、銃口を金髪の男に向ける。
金髪の男も、ここら辺では売られていない自動拳銃を取り出し、マスターに向けた。
「そこまでだ!」
大勢の足音と共に、背後から声がした。
村中の人間が、ジープを取り囲む。
村人全員が、猟銃を持っていた。その銃口が、ザザたちへと向けられる。
「モモ! こっちに来い!」
1人の男が、助手席に座っている少女に声をかける。
「あいつ!」
出来るだけ頭を下げていたザザが、少女が駆け寄った先を睨む。
平原で少女を襲っていた、強盗の1人だった。
「お父さん!」
「何い!?」
自分の髪の毛を引っつかんでいたその男に、少女は自ら抱きついていた。
「さっきは、よくもやってくれたなあ?」
また、別方向から声をかけられる。
どこかで聞いた事がある声に嫌な予感を感じながら、ザザたちはその方向を見た。
「マジかよ……」
嫌な予感は、的中した。朝方襲ってきた強盗の内、数人がニヤニヤしながら立っていた。
「なるほど。俺たちは、まんまと盗賊のアジトに乗り込んじまったというわけかい」
「ご名答」
金髪の青年が持っている自動式拳銃が、マスターの背中に突きつけられる。
「俺を抜かせば、何年か振りのお客様だそうだ。村長に代わり、歓迎しよう。ようこそ、ジャファーフ村へ」

