(どうしよっかなー)
とっくに太陽が落ちてしまった中、ランプの炎だけでは部屋を十分照らせるわけもなく。しかも、そのランプも廊下の天井に吊るされているだけで、室内には照明器具など一切ない。
そもそも、ここは部屋と呼ぶにはあまりにお粗末な場所だった。
つっかえ棒で板を支えなければ開かない窓。その窓も、端にある物は中途半端な位置で薄い壁に埋もれてしまっている。大きな部屋を、板で無理矢理小分けしたように見える。
しかも、足元は床ではなく土だ。
(元家畜小屋ってか?)
綿が飛び出ているベッドの足から、土にまみれた藁を拾い上げる。
ここへ来るまで目隠しされていたため、この建物の外観は分からない。
しかし、薄っすらと残る田舎の香水の臭いから、ザザの予想は当たっていそうだ。
(家畜小屋……納屋……。納屋……)
まさか。見覚えがあるどころではない。十分過ぎるほど見慣れた造りの天井を、ザザはじっと見つめていた。
予想が当たっていれば良いのだが、それよりもまずは……。
「せめて、ぷらいべーとってヤツは考えてほしかったなー」
たまにこちらをのぞき込んで来る見張りを、恨めしそうに見ながら、ぶつくさと呟く。
窓には、もちろん鉄格子がはめられている。
ザザにとって問題なのは、廊下側にあるはずの壁が、全て鉄格子で出来ていることだった。
こうも丸見えでは、堂々と不審な行動など取れやしない。こんなにも、逃げやすい条件が整っているというのに、だ。
「おじさーん! ちょっと、手のヤツ外してくんねー? キツイ」
「うるせえ! 大人しく座ってろ!」
少しでも不満を漏らそうものなら、銃を向けられて一蹴される始末である。
「少しでも変な動きをしてみろ! すぐに撃ち殺してやるからな!」
「こんなガキに何が出来るって言うんデスカー」
両手を上げながら上げる反論は、緊張感の欠片もない。
「ザザ! これ以上しゃべんじゃねーよ! 撃たれたらどうすんだよ!!」
それとは正反対に、全く余裕のない怒鳴り声が板を挟んだ向こう側から上がる。完璧に声が裏返っている辺り、怒鳴り声というよりも悲鳴といった方がしっくり来る。
「お前もうるせえ!」
「ひいっ」
もっとも、銃口の向ける先がザザからレオンに変わった時点で止んでしまったが。
「ま、待て! オレを殺したらどうなるか分かってんのか!? オレの親父は政治家なんだぞ!
今は村長なんて役に納まってるけど、昔は首都の議員やってたんだからな!
ただ、ちょっと派閥を選び間違えてまとめて失脚させられたってだけで……。
親父のコネを使えば、お前らなんかあっという間だぞ!!」
止んでいなかった。
レオンの鼻にかけた言い方が悪かったのか、見張りの男は頬をひくひくさせている。
「へえ……。そりゃあ良いことを聞いた。つまり、お前の親父大先生様に脅迫状を出せば、大金が手に入るってわけだ」
レオンのバカー! 普段は自分が言われている悪口を、ここぞとばかりに叫んでみる。もちろん、見張りを刺激しないように、飽くまで心の中で、ささやかに、だが。
肝心の言い出しっぺは、「いや、え? ちょっと待て!」などと、間抜けな台詞を吐くだけだ。
ほんの少し、あの憎らしい村長の面影を見たような気がして、ザザの胸中は穏やかではない。
とは言え、このままレオンを置いて行くわけにはいかない。ザザは気を取り直して、見張りの男を観察し出した。
銃口の動きからして、ザザの右側にレオンがいるのだろう。そして、左側の壁は仕切り板とはまた違った木の組み方をしている。つまり、左側はこの小屋本来の壁だということだ。
(ここが一番左ってことは、じーちゃんはレオンを挟んだ隣か、もっと向こう側か……)
もしくは、この小屋にいないということも考えられる。
「ちょっとそこの見張りのお兄さーん」
「今度はなんだよ。お兄さんって言っても出してやらねえぞ」
こうなったら、単純に物事を考えよう。
「じーちゃんは元気なの? さっきから声が聞こえないんだけど」
「ああ? 一緒にいた図体のでかいオッサンか? 知らねえよ。途中でグレイが連れてっちまったんだから」
いい加減に黙れようるせえな。そう言いながら、男は頭をかいている。この状況に慣れ始めたのか、少し声をかけたくらいでは銃口を向けなくなっている。
「……グレイ?」
「金髪の兄ちゃんだよ。いただろ」
それを聞いて、ザザの目の色が変わった。
「なんで連れてったの?」
「知らねえよ。あいつも余所モンだからな。なに考えてんだか」
そこで、ザザは確信した。
「……無事、なんだろうな?」
「あ?」
「じーちゃん無事なんだろうな!? あの人に何かあったら、絶対に許さないからな!」
ただ、半泣きで睨みつけただけだというのに、男はすぐにうろたえる。
「し、知らねえっつってんだろ! 向こうが変な真似さえしなけりゃ、何もねえって!」
確信した。こいつらは、ただの村人だ。
そして、唯一の頼みであるマスターは、きっと自力では逃げ出せない。
ザザは、膝を折り曲げてそこに顔を埋めた。一定の間隔を置いて、微かに肩が震えている。
見張りは、気まずくなったのか、しきりに頭をかきながら向こうへ行ってしまった。
見張りの気配が遠のくなり、ザザは鉄格子に駆け寄り、廊下側をのぞき込んだ。
その眼は、濡れてなどいなかった。
(じーちゃんに目をつけた)
鉄格子に頬を食い込ませて、廊下を覗く。見張りの男は、廊下の突き当たりで一服していた。ちょうど、出入り口のある場所だ。
ザザは理解した。統制など取れていなかった強盗たちが、なぜ村の中では素早く動けたのか。
(司令塔は、あいつだ)
だったら、やる事は1つしかない。
ズボンにあるヒモ通しの穴を探り、細い金属片を取り出す。両手を縛っているロープにそれを押し当て、上下に擦り始めた。
もともと弱っていたロープは、見る見るうちに切れていく。
再び見張りの様子を伺い、見張りが覗き窓から外を見ているのを確認すると、レオンがいる部屋へと手を伸ばした。
部屋と部屋を仕切っている板があるものの、廊下側は総鉄格子で丸見えだ。レオンが手に気づくのに時間はかからなかった。
近寄ってみれば、ザザの手には金属片が握られている。受け取って見ると、剃刀の刃に細かい切れ込みを入れた物だと分かった。
「天井から逃げるぞ」
息だけでそう言うと、ザザは奥へ引っ込んでしまった。
レオンも部屋の奥へ行き、ロープを切る。
首都からミルフに引っ越して来た時から、皆と一緒によくやった事だ。ザザのように訓練を受けていなくても、レオンには容易いことだった。
乾季と雨季のはっきりしているこの地域では、雨が降れば洪水になることが多い。ミルフも例外ではなく、雨季だけに出来る河が氾濫することが度々あった。
村の中で、高い建物といえば納屋か役場くらいだ。どんな時でも、すぐに物を水の届かない場所へ移動できるようにしておく必要があった。
いちいち釘を外している暇などない。だから、天井には最初から何も打たれていない。そして。
(結局、どこの村も納屋の造りは同じってね)
壁際にある、天井の一部を押し出す。いとも簡単に開いた穴に向かって、隣の板を横にスライドさせた。
(ビンゴ!)
端に溝のついた板をパズルの要領で外して行き、レオンは天井裏へ上った。
慎重に板を元の場所に戻して顔を上げると、すぐ目の前にザザの顔があった。
「よ!」などと口だけで言いながら、片手を挙げるジェスチャーまでしている。
ザザはレオンより先に上り終えていたのか、隣に開いているはずの穴が、きれいに塞がれていた。
「ちょっと、見張りのおっちゃんを眠らせてくる」
そう耳打ちしてきたザザの左手には、大きな釘抜きが握られている。
まさか、これで頭でも殴るんじゃないだろうな? レオンの頭に一抹の不安が過ぎった。
いくら何でも、これは結構……いや、相当痛そうだ。痛い程度で済むならまだ良いが、下手をしたら永遠の眠りに就きそうだ。
とはいえ、自分ではこの状況をどうにも出来ない。レオンは若干頬を引きつらせながら、大人しくザザを見送った。
ガタン。
見張りから見て、小屋の一番奥の部屋から音がした。あそこは、ちょうど人質がいる辺りだ。嫌な予感がして、見張りは一歩踏み出した。
用心深く歩みを進める見張りの後ろで、微かに靴音が聞こえた。
明らかに自分の足音とは、ずれている。
まさか。空になった牢屋が視線に入った時、首筋に強烈な痛みが走った。
それを最後に、見張りは地面へ沈んだ。
鋭い眼差しもそのままに、ザザは見張りの男を見下ろしている。おもむろに、男へと手を伸ばした。
「今の音はなんだ?」
ザザの心臓が跳ね上がった。
(外のことにまで頭回ってなかったー!)
ここにマスターがいたら、絶対に何か言われていただろう。
足音が、だんだん入り口に近づいて来る。
動悸が治まらないまま、ザザは覗き窓のふたを閉じた。
「ん? おい、どうしたんだよ?」
訝しげな声と共に、ドアが開いた。
男が最初に見たのは、既に意識を手放した仲間の姿だ。
「お、おい! 大丈夫か!? 何があった!?」
小屋の中の様子を確認することもなく、男は仲間を抱き起こした。
その後ろで、開けっ放しのドアが静かに閉められる。そのドアの陰から、ザザが姿を現した。
「畜生! あの若白毛か!?」
片腕で仲間の肩を抱えながら、銃を構えたところで、男の意識は途絶えた。
「……殺したのか?」
控え目な声に、自分が降りてきた穴を見上げる。頬が引きつったままのレオンと目が合い、ザザは思案した。
もう一度、地面に仲良く寝そべっている2人を見下ろし、両方の首筋に手を当てる。
「いや、殺してない」
飽くまで本人にとっては満面の、レオンにとっては眼が笑っていない笑顔を浮かべ、ザザは再び天井を見上げた。
そのままレオンの周りだけ時が止まったことも気に止めず、ザザは気絶している2人の銃を拾い上げる。
「じーちゃん助けに行こうか」
そこには、もう笑顔などなかった。
「で、なんで俺だけ引き離されてんだあ?」
薄い板で仕切られているわけではない。狭いながらも、列記とした一室にマスターはいた。後ろ手に縛られて、木製の椅子に座っている。
机を挟んだ向かいには、男が肘をつき、手を組んで座っていた。この村の門番をしていた、この地方では珍しい金髪の、あの男だ。
「何、1つばかり質問があってね」
にこやかに話す彼に反し、周りを取り囲む村人は、銃を構えながら無言で威圧してくる。
「なぜ、あなたのような人がこんな辺境にいるのか不思議でね」
「このご時世だ。国境から逃げる奴なんて珍しくねえだろお。毛色が違うからかい? お前だってそうじゃねえか」
「そりゃあ、故郷が戦場になって端へ流れるってこともあるでしょうが……」
あなたは違うでしょう? 耳元まで寄ってきた口から、そんな台詞が飛び出した。
「あなたなら……。いえ、あなたの一族なら、故郷を焼かれることはないはずです」
どんな時でも、余裕の色が消えることのなかったマスターの表情が、一気に強張った。
「絶対に、ね」
再び距離の置かれた青年の顔には、相変わらず自信に満ちた笑みが湛えられている。それでも感情の見えない眼光だけが、マスターに容赦なく突き刺さる。
「お前は……」
「とりあえず、何しにここまで来たんです? あの子どもたちは? どこへ何しに行くつもりだったんですか?」
「質問は1つだけじゃなかったのかい?」
質問を質問で返す。しかも、かなり屁理屈の入った方法で。
ムダな足掻きだとは承知している。それでも、この男に漏らすわけには行かない。そう、勘が叫んでいる。
「そう頑なにならないで下さいよ。俺だって、下手に手を出すわけには行かないんです」
これは勘だ。根拠があるわけではない。しかし――
「上司の同胞に、危害を加えるわけにはいかないので」
この男は、流民じゃない。
「マスターがどこにいるのか分かるのか?」
「ううん。分かんねー」
姿勢を低くして、建物の陰を移動していく。
「いざ戦闘になって、あいつら全員相手できるか?」
「ムリだろ。フツーに考えて」
時折り立ち止まって、村人の動きを観察する。
「……マスターを助け出したとして、どうやって村を出るんだ?」
「んー。じーちゃんがミラクル起こしてくれると思うんだよねー」
しらみ潰しに家の中を確認していくが、それらしいところには一向に当たらない。
「無事にここを出られたとしてだ。その後どうやって首都まで行く?」
「なー。とりあえず、車を取り返すか、盗むかしなきゃなー」
レオンはザザの肩をつかみ、自分の方に向かせた。
「ちゃんと考えて行動してんだよなあ?」
「逃げるときに頭使いまくっちゃったからなー」
肩をつかむ力が、強くなった。
「マスターなら、自力で逃げ出すと思うんだけどよ?」
レオンの米神が筋立っているのは気のせいだろうか。
「ムリだな。じーちゃんは逃げられない」
「え?」
ザザは肩に乗せられた手を外し、静かにレオンの顔を見上げた。
「じーちゃんは、あいつには勝てない」
右手に持った猟銃を、水平に掲げる。
レオンは一瞬固まり、すぐに横へ身を引いた。
振り返った、ザザが見ているその先には、こちらに銃口を向けている村人が立っていた。

