馬車から降りると、城の従者が頭を垂れて入り口に手を向けた。
それに従って、冷たい石畳を進んでいく。
扉が開かれると同時に、溢れる光。あまりの眩しさに手をかざし、人込みへ紛れた。
「お嬢様、私と踊って頂けませんか?」
暖炉の暖かさに浸っていると、若い貴族の男が手を差し伸べてきた。
ここまで来たんだ。思い切り楽しもう。私は、その申し出を受け入れた。
あいつらが家に来るまでは、こうやって踊る事もよくあった。何年振りだろう?
ふわふわして、とても気分が良かった。
急に、相手の顔から血の気が引いた。どうしたのだろう? と、思っていると、曲が終わった途端に深々とお辞儀をして、脇へ退散してしまった。
周りがざわついている。
私、何かした?
「今晩は」
後ろから声をかけられて振り返ると、青地に金の刺繍が目に入った。一目見て、一流の職人が作ったと分かるほど凝った物だ。
白地に同じく金の刺繍の施されたスカーフ。見た事もないほど繊細な作りの金細工。
徐々に目線を上げていくと、ウェーブのかかった金髪の男性の顔があった。
「私と踊って頂けますか?」
そういって、その人は私の手の甲に口づけた。
「嘘――」
「あの子、王子様に――」
王子様?
「王子様直々に!?」
聞き覚えのある声がしてそっちを向くと、後妻家族3人が、私の方を見ていた。
顔を青白くして、歯を食いしばって、わなわな震えている。
上の義姉だけは、ただ目を丸くして、キョトンとしているだけだったけれど。
面白い。これは、とても、面白い。
申し出を受け入れると、王子様は嬉しそうに手を差し伸べてくれた。
羨ましそうな視線。悔しそうな視線。諦めの視線。見惚れる視線。
それら全てが心地良くて、私は心から微笑んでいた。
良い様ね。そう込めて、私はあの3人に視線を送った。
そしたら、義母と下の義姉は、元から歪ませている口元をもっと歪ませた。目元なんか釣り上がっていて悪魔のよう。
ああ、何て醜いのかしら。
「あんな子に負けるなんて!」
「顔ばっか良いからって好い気になってるのよ! お母様、見てよあの目!」
どうやら、私の事は分からないみたいだった。相変わらずのキンキン声で、親子揃って喚いている。上の義姉は――義姉だけは、余裕な感じで、退屈そうに小さく欠伸を漏らしていたけれど。
面白くない。これは、結構、面白くない。
あの余裕ぶった仮面を剥がしてやりたい。あの、義姉の。
王子様に歯の浮くような言葉をささやかれ、出来る限り、これでもかと幸せそうな顔をしてみる。
その度に、義母と下の義姉からは嫉妬の視線をぶつけられるのに、上の義姉だけは涼しい顔をして私を見ていた。
どうしたら、崩せる? あいつの顔を歪められる? あの女の喚き声が聞ける?
その事ばかりに気を取られて、周りが見えなくなっていた。
ハッと気がついた時には、鐘が12回鳴り終えていて。
ギョッとした。
手にはプリンセスグローブなどはなく、灰に塗れた素肌があった。
まずい。これは直感だ。早くここを離れなければ。
「お待ち下さい!」
挨拶もそこそこに、出て行ってしまった気がする。
相手は王子様。無礼なんか許されない。ちゃんと謝ったかしら?
それどころじゃない。この姿を見られてしまったら。もし、あいつらに見つかってしまったら。
足を取られて、体が傾いた。
絨毯からはみ出て、大理石を踏んでしまった。ガラスの靴だ。滑らない方がおかしい。
そのまま、私は体中を打ちつけて、階段を転げ落ちていった。
これくらいの事はたまにあるから、今更どうって事はないのだけれど。最上段から落ちなくて本当に良かったと、下から階段を見上げた時に思った。
それと同時に、さっきバランスを崩した、階段の幅の広くなった場所にガラスの靴を見つけた。
こんな時に。駆け上がるにしてもかなりの段数がある。しかも結構、所々が痛む。
しかも、取りに行くか迷っていたら、王子様が出てきてしまった。
今の格好といえば、灰に塗れてボロを纏った、雑巾のような格好だ。
とっさに草薮に入って、そのまま庭から逃げ出した。
裸足で石畳の上を走るのだ。
あちこち擦り切れて、血がにじんでいるけれど、それよりも寒さによる痛みの方が数倍勝っていた。
と、いうより、凍てつくような石畳と空気のせいで、感覚なんか麻痺してしまっていた。
凍傷になるかも、とか思いながら、やっとの事で家に着く。
急いでお湯を温めて、足に浸す。ぬるま湯の筈なのに、あまりの熱さに歯を食いしばった。
「ちょっと! 灯りを持って来な!」
しばらくして、いかにも荒れたキンキン声が響いた。
急いでランプを持って玄関まで行くと、舞踏会で見た時そのままの目をした、義母と下の義姉。そして、そんな2人を冷めた目で見ている上の義姉。
「全く! 何処の姫だか知らないけど、あの小娘のせいで散々さ!」
「しかもダンスの途中で抜け出すなんてどういう事!? どれだけのお偉いさんよ!!」
相当癇に障ったのか、2人はまだ喚いている。
やり過ぎたかしら? とか考えていたら、両手に持っていたランプを掠め取られた。
「早く中に入りましょう。風邪を引いてしまうわ」
そう言って、義姉はさっさと進んで行ってしまった。
「誰がモップを使って良いって言ったかしら? あんたは雑巾がお似合いよ」
それから数日経ったかしら。いつもと同じ毎日が繰り返されてる。
今の私の格好は、バケツの水を頭から被って、頭を雑巾ごと床に押さえつけられている状態。
やっぱり、あれは一時の夢だったんだ。綺麗なドレスを着て、豪華な広間で王子様と踊る。
きっと、もう一生味わえない事なんだ。
「聞いてるの?」
ピリッと頭に痛みが走り、そのまま持ち上げられる。パラパラと何本か髪の毛が抜け落ちて、水溜りに浮かんだ。
やっぱり、こうやって積極的に行動に移すのは下の義姉だけ。上の義姉は飽きたのか、窓から外を眺めていた。
ふと、上の義姉の目が大きく開かれた。そのまま窓枠に手を置いて、更に顔を窓に近づける。
コンコンと、玄関のドアをノックする音がした。何か話し声がするけれど、ここからではよく分からない。
しばらくして、義母が部屋に入って来た。
「あんた達、早く! 早く下りて来な!」
義母が声を潜めて、目をカッと開いてバタバタと動いている光景に、思わずプッとなる。
そんな事をすれば、普段ならネチネチと追及されるところだけれど。今回はそんな事にも気づかないのか、近くにいた下の義姉を引っ張って、そのまま出て行ってしまった。
何だろう?
「門の前の馬車にあった紋章。あれ、王家の物ね」
思わず、大きく息を呑んだ。完璧に聞こえてしまっている。
恐る恐る振り返ってみれば、上の義姉が無表情で見下ろしていた。
蛇に睨まれた蛙。今の私を例えるのならそんな感じだろうか。
義姉はそのまま部屋を出て、柵越しに下を見た。そして、振り返って、私に微笑みかけた。
今度は何をされるのだろう? 久しぶりに見た、感情の篭った満面の笑みだ。下にお客さんが来てるのに。
義姉は、嬉しくて仕方がない。そんな笑顔を浮かべてこちらに近付いてくる。
そして、私の手を取って、立たせた。
何をしようとしているの?
そんな疑問を余所に、義姉は私の腕を引いて階段を下りていく。
待って。こんな格好で王家の使者の前へ出ろと言うの?
ふいに義姉が振り返る。目が合った。
義姉は、穏やかに微笑んでいた。
分かった。
私は義姉の腕を掴んで留まった。
この人、私に恥をかかせるつもりなんだ。
なおも義姉は、私を連れて行こうと力を込める。
嫌!
とっさに私は座り込んだ。さすがに義姉も連れて行けない筈。
「大丈夫よ」
とても、優しい声だった。
私はそのまま抱きすくめられて、頭を撫でられていた。
「あのガラスの靴、あなたのでしょう?」
その瞬間、心臓が縮み上がった。
知っていた? この人は、あの晩の事を知っていたの?
「王子様が、あなたを捜してるわ。大丈夫。あの靴に足を入れれば、それですぐに終わるの」
信じられなかった。その笑顔が、とても優しかったから。
お母様……。そう、お母様のように、やさしかったから。
「あなたのような子が、こんなところにいては駄目よ」
私は、今までとんでもない勘違いをしていたんじゃない?
そうだ。いつも私を虐めるのは、下の義姉だった。
この人はそれを少し手伝ってただけ。決して自分から、私に何かした訳ではない。
あの金の懐中時計だって、そう。お父様からの物だから、私にくれたんだわ。下の義姉や義母だったら、普通こんな高価な物を明け渡さないもの。
この人が笑う度に勝手に恐がってただけじゃない?
「まあ、また? あなた本当に泣き虫ね。こんな顔で行く気?」
少し困ったように笑って、義姉は袖口を私の目元に当てた。
私、誤解してた。この人、本当はやさしい人なのよ。そうじゃなきゃ。
「時間がないわ。早くしないと、他の家へ行ってしまう」
そうじゃなきゃ、お気に入りのショールを灰で汚したりしない。こんなびしょ濡れの私を抱きしめたりしない。こんな綺麗な服で涙を拭いたりしない。
「お姉さま……」
姉は、今まで見た中で、一番びっくりしたような顔をしていた。
「ありがとう、お姉さま。今まで」
そして、今まで平静を崩す事のなかった顔を、くしゃくしゃにしていた。
たぶん、私も人の事は言えないと思う。涙で、すぐに視界が歪んでしまったから。
「お、奥の部屋から、お古の洋服を持って来ましたよ」
相変わらず耳につくキンキン声。箱に埋まってしまっていて顔は見えないけれど、辛うじて見える張りのない手で分かる。義母だ。
「ありがとう。そこら辺に置いといて」
ほんの数分前だったら、こんな台詞を言おうものならただでは済まされなかっただろう。
「それじゃあ、私は洗い物があるから」
その証拠に、義母の顔は始終ピクピク引きつりっぱなしだ。
本当は、もっと嫌味を言ってやりたいところなのだけれど、姉の手前それは出来ない。どんなに嫌いでも、それでも義姉の家族である事には変わりないのだから。
「本当に良いの?私のお古なんかより、新しいのを買った方が良いのではなくて?」
「良いの。嫁入り道具だから、お姉さまのを着て行きたいの」
鏡の前に立って、少しホコリの臭いのするドレスを体に当ててみる。
姉らしい水色のドレスは、スカート丈も袖丈も申し分ない。
「よく似合ってるじゃない」
姉は私の髪を結い上げて、自分の髪につけていた髪飾りを私に挿した。
銀細工に散りばめられたトルコ石が、ドレスによく合っていた。
「結婚祝いに、あげるわ」
「ありがとう! 結婚式もつけて出るわ!」
あまりのはしゃぎっぷりに、姉は吹き出してしまっていた。けれど、全く構わなかった。
「お姉さま、本当にありがとう」
頭を下げる私に、姉は首を横に振りながら微笑みかける。
「良いのよ。だって、それはあなたのお父様のだから」
「え?」
「あなたのお父様からの物だから」
ふと、姉の笑顔が、消えた。
「あんな男からの物なんて、いらないわ」
この人は、今何て言ったの?
ちゃんと聞こえている筈なのに、意味までは理解できなかった。
姉は、私を抱きしめて、そのまま囁きかける。
「さっさと出て行って。邪魔よ」
私は、床に崩れ落ちていた。
「お前も、お前の父親も消えれば良いのよ」
恐い。上から見下ろしてくるその目が、あまりに冷たかったから。
「私も、妹も、母親も」
その声が、あまりに低く、静かだったから。
「みんな、お父様のものなの」
姉はしゃがんで、目線を合わせてきた。
「出て行け。余所者が」
「どうして……」
どうして? やっと、信頼できる人が現れたと思ったのに。
「どうして? 私、あなたの事を本当の家族だと思ってる。私、何か気に障るような事をした?」
「どうして? 今言った通りよ」
姉は鼻で笑って立ち上がった。
「私は、お前の事を家族なんて思ったこともないわ。だって」
そして、パッと開いた扇越しにこちらを流し見た。
「だって、お前だって私達の事を家族だと思っていなかったでしょ?」
私は何も言えなかった。ただ、呆然と義姉を見るしかなかった。
義姉は、とてもとても嬉しそうで。本当に幸せそうで。
恐いくらい明るい笑い声が、部屋中に響いていた。

