ウラゲッチョ!
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おしょーさん
CLASS8:類は友を呼ぶ
 事の発端が何だったのか。そんな事など、この場に居合わせた者たちにとっては、どうでも良い事だった。
 何とかこの場を収めなければ。ほぼ全員が、その事だけに意識を集中していたからだ。
「てめえ! 黙って聞いてりゃいい気になりやがって!」
 全然、黙ってなんかいなかったじゃないか。一寸の狂いもないタイミングで、宮村 悟と学級委員長はつっこんだ。
 もっとも、見るからにケンカなどした事のない2人には、それを声に出すなんて事は出来ないのだが。
「私はフルネームをまんま言っただけよ。何をそんなに怒っているの」
 うんざりしているのか、おしょーさんは軽く眉をひそめている。
「下の名前を呼ぶなっつってんだよ! 前からクラスの奴全員に言ってるはずだろーが!!」
 そのおしょーさんにギャンギャン怒鳴り散らしているのは、どのクラスにも必ず1人はいるヤンキーだ。
 中学生の平均身長で見れば、中の下くらいのおしょーさん。
 ヤンキーの彼女は、そのおしょーさんよりも遥かに背が高かった。常にプリンのできた金髪を下ろして、明らかに本来のサイズより大きい学校指定のジャージを着用している。剃られては抜かれたと思われる眉は、既に青い麿さん状態だ。
 これだけ条件がそろっていれば、だれも話しかけるどころか、目を合わせようともしなかった。
 ましてや、本人が下の名前を必死に隠しているのを承知で、その名前を口にする者など皆無だった。
「委員長」
「なんだよ」
 それでも、悟は訊かずにいられない。
「姐さんって本名なんていうの?」
 あだ名である"姐さん"だけは広く知られているのに、本名はだれも知らないのだ。残念ながら、担任が出席をとる時は、苗字しか呼ばれない。それでも始業式当日は、1回だけフルネームで呼ばれたのだが、悟は特に意識していなかった。
(鈴原さんでそれどころじゃなかったしなあ……)
 そう思いながら視線を横にやれば、鈴原 彩が涼しい顔をして漫画を読んでいる。
(俯き加減45度も良いなあ〜)
 今が掃除の時間だという事に、悟は気づかない。
「おい、質問しといて勝手に見とれんなよ」
 委員長に小突かれて、振り向こうとした時だった。
「ひい!?」
 またまた一寸の狂いもないタイミングで、悟と委員長は小さく悲鳴を上げる。
 こっちに向かってガンを飛ばす、プリン頭の般若が目に入ったからだ。
 2人とも、近くに寄らなければ聞こえないほどの声量で話していたはずなのだが。
(地獄耳だー!)
 やっぱり一寸の狂いもないタイミングで、2人は首を横に振った。
「クラス全員から"お姉ちゃん"と呼ばれて、示しがつくと思う?」
「そりゃこいつが言ったんだ! あたかも定着してますってな言い方すんじゃねえ!」
 このズレたあだ名で呼んでいる張本人、鈴原 彩は、目を丸くして頭にはてなマークを浮かべている。
(分からないって恐いなー)
 ひそかに、委員長は悟るのだった。
「このあだ名がそんなに嫌なら、本名をきちんと世間に公表するべきよ?」
 おしょーさんは姐さんをまっすぐ見据えた。いつもの不敵な笑みの中に、挑戦的な眼差しが見え隠れしている。
 そして、うっすらと目が細められた。
「ひ・め・か・ちゃん?」
 悟と委員長が、仲良く固まった。
 そして、次の瞬間には、姐さんの顔がおしょーさんの目前まで迫っていた。
 突進時の勢いを利用して、姐さんは拳を打ち下ろす。
 おしょーさんは、寸でのところで身を翻した。女子にしてみれば大きな握りこぶしが、黒髪の毛先を弾く。
 リーチの長い腕は、そのまま横からおしょーさんを襲った。狙い澄ましたように、ひじが突き出される。
 おしょーさんはヒジを掴むと、半ば飛ばされる状態で姐さんから離れた。
「んにゃろう……」
 姐さんは意地になったのか、すぐ脇にある清掃用具入から箒を取り出した。
 高速で回転する箒に、男子2人は唖然となる。
 姐さんは一旦構え直すと、腰を落としておしょーさんを睨みつけた。
 一方おしょーさんは、腰のところで手を組み、仁王立ちしている。
 ごくり。男子2人が飲み下した唾の音が、やけにうるさい。
 睨み合いは続く。が、2人は動かない。
 彩の指から、紙を擦る音が零れた。
 それを皮切りに、おしょーさんが動く。右手をまっすぐ突き出して、ゆっくり、大きく、上向きに指だけで手招きをしたのだ。
 高い風切音と共に、箒の柄が打ち下ろされる。おしょーさんは紙一重で横へ避けたが、そのまま斜め下から追いかけてきた。
 バランスを崩したかのように、おしょーさんの身体が勢い良く後ろに倒れる。
「ひいっ」
 情けなくも、男子2人は両手で顔を覆った。同時に開かれた指の隙間から、黒目がちゃっかりと覗いている。
「って、ええええええ!?」
 明らかにツッコミ心のこもった叫びが、機械のような精密さでハモった。
 箒を振り放ったまま、ポカーンと大口を開けている姐さん。その前で、おしょーさんの背中がトンでもなく反り返っていた。
「イナヴァウアーやるなんてタイムリーだね! おしょーさん!」
 頼もしくも、彩はガッツポーズをした。借り物の漫画をきつく丸めて、満面の笑みを浮かべている。
(全然タイムリーじゃねえ……!)
(むしろ、微妙に流行りからズレてるよ! 鈴原さん!)
 ギャラリーの男子2人はそれぞれツッコミを入れるが、それを声に出すほどの度胸は持ち合わせていなかった。
 イナヴァウアーどころか、リンボーダンス並に膝から反っているおしょーさん。背骨は大丈夫かという体勢で、何やら前後に揺れている。
 最初は微かなものだったそれも、次第に大きくなっていき……。
 ガバコンッ。
 絵にすらなりそうなほど見事な頭突きが、姐さんの額にお見舞いされた。
 実は、全身がバネでできているのではないか? そう思わせるほどの勢いで、おしょーさんは上体を元の体勢に戻したのだ。
「あらあら……」
 吠える娘も黙る強烈な頭突きは、喰らった本人だけでなく、まわりの人間まで黙らせてしまった。
 男子2人は言うまでもなく、彩ですら目を丸くしている。
 一瞬にして床に沈んだ姐さんは、顔を真っ赤にして震えている。額に近づくにつれて、その赤みは増していった。
「てんめぇぇええええ! マジブッ殺ス!!」
(ヒメカちゃんがキレたー!)
「姫花ちゃん言うなああああああ!!」
 男子2人のひそかな心の叫びにも、姐さんはきっちりと言い返す。
 そして、再びおしょーさんに得物を振り回し始めた。
「危ない!」
 思わず悟が叫ぶ。
 おしょーさんはギリギリでかわしているものの、端から見ればかなり危なっかしかった。
「くそ! 武器さえ。おしょーさんに武器さえあれば……!」
 委員長のその言葉を聞き、彩は辺りを見回した。
 何か、何かおしょーさんが使えそうな武器を!
「あれだ!」
 彩は走った。めちゃくちゃに繰り出される凶器をかい潜って。
「おしょーさん、受け取って!」
 細長くて赤い物体が、放物線を描いて飛んでいく。
 おしょーさんがハイジャンプで手にした物に、自然と視線は集められた。
 手から零れた、赤い線。手中に収まった、赤服のお爺さん。
「火消し男……」
 悟が呟いたのは単なる愛称なので、ここで正式名称を言っておこう。
 ザ☆ファイヤーお爺さん21。
 消防署のアイドルである。
「縄跳びなんかでどーしろって言うんだよ! 天然にも程があるぞ、鈴原 彩!」
「な――!? 鈴原さんに何てこと言うんだよ!」
 ちなみに、跳んだ回数をカウントできる優れ物だ。
 放火中のサンタクロースに見えて仕方がないのが、唯一の欠点ではあるが。
 おしょーさんは、まわりの雑音など気にも止めず、縄跳びの紐の真ん中を両手でつまんだ。そのまま、両手を肩幅まで広げ、紐にたるみを持たせる。
 再び、まわりが静まり返った。
 甲高い音と共に、高速で回転し始めるザ☆ファイヤーお爺さん21。
 縄跳びの柄を縦横無尽に振り回す姿はまるで――
「ブルース・リーだ……」
 決して、おしょーさんは"アチョー"などと言わなかったが。
 火消し男が手に馴染んだところで、おしょーさんは左側だけ回転を止め、姿勢を低くした。
 姐さんも低く身構える。
「行くわよ?」
 両者は睨み合っていた。
「来いや!」
 第2ラウンドが始まった。
 珍しく、先に仕掛けたのはおしょーさんだった。
 片方のみで回していた縄跳びの柄を、最高スピードに乗ったところでほうり出す。そのまま、姐さんに向かってまっすぐ突き進んでいく。
 しかしながら、柄は姐さんに到達する直前で叩き落とされた。
 床に激突し、無惨に砕け散る火消し男の頭。
 途端に、彩の表情が険しくなった。
「ああー!? おじいちゃん壊したあ!」
 そんな物欲しそうな顔になる物でもないだろうに。委員長はため息をついた。
 姐さんは、次々と繰り出される縄跳びを片っ端から叩き落としている。その度に、消防署のアイドルは見るも無惨な姿へと変わっていくのだった。
「どーすんだ? このままじゃ、ヌンチャク代わりにするにしても軽すぎるんじゃねえ?」
 武器破壊が成功したところで、姐さんは勝ち誇ったように頬を緩めた。
「え!? おしょーさん、またピンチ!?」
「やべえ! 意外と強いぞ!」
 トドメだと言わんばかりに、姐さんが大きく1歩を踏み出したその時。
「ん?」
 おしょーさんが、めい一杯に腕を突き出し手の平を見せた。どうやら、止まれと言いたいらしい。
 律義にも、姐さんはそのジェスチャに従った。
 肝心のおしょーさんといえば、教室の片隅に置かれているバケツ2個を手に持っている。そのまま、ベランダへ出て、排水溝に水を捨て始めた。
「何やってんだ?」
「さあ……」
 ギャラリーの男子も訳が分からない。
 水が半分になったバケツを持って、おしょーさんは定位置に戻った。
 それぞれのバケツの取っ手に、縄跳びの両端が括りつけられた状態で。
「さあ、始めましょうか」
「ずりぃー!!」
 姐さんだけではない。悟と委員長も叫んでいた。
「なにどさくさに紛れてんなもん作ってんだよ、このヤロウ!」
 これにはさすがにカチンと来たのか、今まで以上に怒気を含めて、姐さんはがなり立てた。
「だったら待たなきゃ良かったでしょう? せっかくのチャンスをふいにしたのは、姫花ちゃんよ。喧嘩っていうのはねえ、勝った者勝ちなのよ。ルールなんてあるわけないでしょう」
 最早、おしょーさんの独壇場である。
 姐さんは、がっくりとうなだれていた。ああ、こいつも鈴原 彩と同類だったのか、と。
「姐さん頑張って!」
 不意に、悟から声援が上がった。
 そして、隣にいる委員長からも。
「そうだそうだ! おしょーさんなんかに負けるな!」
「おまえら……」
 思わぬ声援に、姐さんは涙ぐむ。
「ぜってえ勝つ!!」
 この時、奇妙な結束が3人の中で生まれたのだった。
「うらうらうらうらうらあ!!」
 箒を大きく回しながら、姐さんが突っ込んで来る。
 おしょーさんはそれをヒラリとかわすと、縄の中央を持ってバケツごと回し始めた。
 遠心力で、水はこぼれていない。
 回転が勢いに乗ったところで、縄を頭上へほうり投げる。
 一滴の水もこぼすことなく受け取り、今度は八の字に回し始めた。
「すごい……」
 つい先程は、姐さんの応援に回った悟から、感嘆の声がもれる。
「しゃらくせえ!」
 それでも構わず、姐さんは飛びかかって行った。
 左斜め上から、バケツが襲って来る。
 姐さんは一瞬立ち止まってタイミングをずらし、攻撃をやり過ごす。
 姐さんの視界から、バケツが消えた。真ん中に映るのは、おしょーさんのみだ。
「もらったあああああ!!」
 至極嬉しそうに目を見開いた姐さんが、大きく振りかぶる。
 その時、おしょーさんがターンをした。
「うぐっ!?」
 さらに速度を増したバケツが、姐さんのあごに当たった。
 全く水をこぼすこともなく、回転の向きが変わっていたのだ。
 バケツでアッパーカットを喰らった姐さんは、一瞬だけ空中を飛んで床に沈んだ。
「姐さああああああん!!」
 悟と委員長が、顔面を蒼白にして、姐さんに駆け寄った。
「毎年、ミスターかくし芸とテレビ越しに競ってるから。そこのところ宜しく」
 キラーンと、おしょーさんの眼鏡が光った。
 この時、男子2人は悟った。
 これ絶対ムリだよ、と。
「うるせえ……」
 そして、唯一あきらめていないのが、彼女。
「かくし芸だか何だか知らねえけどなあ! これだけやられといて引き下がるわけにはいかねえんだよ!!」
 今にも飛びかかろうとしている姐さんを、悟と委員長が必死になって止める。
「お願いだ姐さん! もうやめよう!?」
「そうだ! プライドよりも命が大事だ!!」
「うっせえ! 離せ! 不良をなめんなよこのヤロウ!!」
「そうやって意地を張ったって、みんな気づいてるのよ」
 いきなり遮ってきたその言葉に、姐さんは怪訝な表情をした。
「あなた、本物の暴走族ではないでしょう」
 そして、すぐに目が大きく見開かれた。
「他の子を見てれば分かるわ。みんな、授業に出るどころか学校に来てさえいないから」
 一気に、姐さんの顔が引き攣った。
「ああ〜!」
「なるほど!」
 その横で、悟と委員長が、感嘆の声を上げる。
「真面目に掃除当番をやる時点で怪しいし。彩を見てみなさい! 友達から借りた漫画が、授業と休み時間を使っても読み終わらなかったからって、掃除の時間を潰してまで読んでいるのよ。ちょっとは見習いなさい!」
 よくバレずに授業を乗り切ったな。誰もがそう思った。
 一応これでも、彩は教職員から絶大な評価をもらっているというのだから、世の中は不公平なものだ。
「そうやって自分を偽ったって、自分が苦しいだけよ」
「ちくしょう……。ちくしょぉぉおおおお!!」
 お約束の説得方法で、姐さんは崩れ落ちた。ギュッとつむられた両目から、ボロボロと大粒の涙が流れ出ている。
「姐さん……!」
「アネゴ!!」
 悟と委員長も、同じだった。
 3人そろって、教室のど真ん中でむせび泣いている。
 掃除の時間だというのに、まるで試合に負けたラグビー部のようだ。
「あ……」
 その時、いつの間にか、また漫画を読んでいた彩が、声を上げた。
 数秒、時計を凝視する。
 そして、満面の笑みを浮かべて、こう宣った。
「掃除の時間、終わったよ!」
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