仏の顔も、3度まで。なんて、よく言うけれど。この学校の人間は、きっと2度目も許してはくれない。
1度目。俺は彼女に情けをかけた。それは、俺の思惑とは違う結果になってしまったけれど。彼女が無事なら、何でも良い。
2度目。それは来てしまった。それはもう、誤魔化しようのない、完全なるチャンスが。
仲間が、歓喜の色を隠せずに来るべき時を待つ。
敵が、彼女の失態に落胆の表情を浮かべる。
抵抗など出来ようもない体勢で、彼女は俺を見つめていた。特に、感情と呼べるものなど見えない表情で、見つめていた。
「許さねえ……。てめえだきゃあ許さねえ!!」
嫌悪。いや、それを遥かに超えた感情が、自分に向けられている。40人近い人間から、刺さるような視線を全身に浴びる。
そんなのはもう慣れっこだ。
だって、ゲームはもう始まってしまったのだから。
ひときわ強い視線を、白線の向こうから感じる。こんなところに立たされなくても、普段から嫌というほど感じている。
彼は怒っているのだ。
俺の放った凶器が、彼の顔に当たってしまったから。そんなに睨まれても、当たってしまったのだから仕方がない。
元はといえば、彩が悪いのだ。さすがに彩に攻撃するのは気が引けたから、受け取りやすい胸の位置に投げたはずだった。
ゆっくりと投げようものなら、敵にも味方にも俺は睨まれてしまうだろう。しかも、投げられた方も巻き添えにしてしまうというオマケつきで。
だからこそ、せめて彩にも受け取れるような場所に投げたのだ。
それなのに、よりによって彼女は。
「まあまあ。首から上はセーフなんだから良かったじゃねえか」
「うっせえ! 委員長は黙ってろ!!」
避けたのだ。キレイさっぱり、物の見事に。
「てんめえ……っ、この俺の顔に当てるたあ、良い度胸してるじゃねえか! 上城!」
普段、おっとりしているように見せている彼女にしては、あり得ないくらいの素早さでしゃがんだのだ。
そして、もともと軽い武器は、風で軌道を上に変え、彩の真後ろにいた渋谷に当たった。
他の奴に当たれば、『あ、ラッキー』で済んだだろう。
しかし、運が悪いことに渋谷に当たってしまった。この、何かにつけて俺と張り合おうとする、バスケ部のエースに。
「覚悟しろよこのヤロウ!!」
土で汚れた渋谷の顔面が、怒りで歪んだ。自らにダメージを加えたそれを、全力で振りかぶる。
矛先は、最も取りづらく、避けにくい足元に向けられた。
空気抵抗で歪んだそれが、性質の悪い軌道を描いて飛んでくる。
避けなければ。そう思って横にずれようとした、その時だった。
「きゃー! こっちに来るー!」
「こわーい!」
まわりにいる女子に邪魔されて、身動きが取れない。
("こわーい!"じゃ、ねえよこの野郎! 邪魔だよ! こんな時に可愛子ぶってんじゃねえよ! どの面さげて言ってんだよ! 台詞を選べ、ヴォケ!!)
なんて、悪態をついたりしてみるけれど、決して口に出す事はない。
相手が渋谷でなかったら、ここまで機嫌を悪くする事はないのだが。
一瞬、当てるのが上手そうな女子を盾にしようかとも思ったけれど、さすがに良心が許さない。
「仕方がない」
避けるのは、あきらめた。
空気の抜けたそれは、容易に歪みながら、こちらへと迫ってくる。
ちょっとした風で軌道が変わるから、最後まで目を離せない。
ほんの数十センチまで迫ったとき、俺は重心を右足に置いた。
渋谷が放ったそれは、左足に当たる。その瞬間に、微妙な力加減で上に蹴り上げた。
「まずい、ズレた!」
ほぼ真上に蹴ったつもりだったが、少しずつ放物線を描いて俺から離れていく。
こうなったら、クラスメートに頼るしかない。
「よっしゃ! 任せろ!!」
そこへ、三宅が人ごみを掻き分けて近づいて来た。持ち前の運動神経で、高々と跳躍をする。
そして、しっかりと両手でキャッチした。土に汚れ、すでに球体を保てていないボールを。
「グッジョブ! サッカー部部長!」
向こうの外野から、歓声が起こる。
「ありがとう。助かった」
「ウチのエースのコントロールが良かったからだな」
そう笑うと、目の前のサッカー馬鹿は、敵クラスのおとなしそうな男子にボールをぶつけた。
手ではなく、足で。思いっきり。
空気が入っていないはずのボールは、その男子の顔面に見事、減り込んだ。
「何やってんだよー。宮村ぁー」
首から上はセーフだというのに、仰向けで大の字に転がった男子は、敵クラスからいっせいにブーイングを浴びている。
可哀想に。
「何やってんだよ、三宅」
「しょーがねえだろー。手で投げるよりも速くて正確なんだからさー」
やっぱバカだ。
「お姉ちゃん! やっちゃって!!」
「うっせえ! お姉ちゃん言うな!!」
彩に発破をかけられて、金髪の女子がボールをワシづかみにした。
「姐さん! 頼んます!!」
向こうのクラスの委員長を含む、数名の男子が、後ろから金髪の女子に声援を送る。
金髪で背の高い女子は、般若のような形相で、こちらを睨み下ろした。
「あの人睨んで来るしいー」
「こわーい」
結構、痛んでいるプリン頭を振り乱し、その女子は剛速球を投げてきた。
あれだけ、心の中で彩に文句を言っていた俺だけれど。部活で鍛えた筋力と反射神経をフルに発揮して、俺はその場にしゃがみ込んだ。
当たると痛そうだし。
どごぉ。
ほぼ真上で、ものすんごい迫力のある音が聞こえた。
見上げてみれば、さっきまで「こわーい」を連発していた女子の顔に、ひしゃげたボールがくっついている。
だから、首から上はセーフなんだってば。
「なにさらすんじゃこのアマァ! 死にさらしたろうかゴルァ!!」
「あーあ……」
ウチの女子が、一気に殺気立った。
そして、飽くまでウチの"女子"による猛攻が始まった。
三宅に顔をぶつけられた、おとなしそうな男子はもちろん、委員長や他の生徒も。男女関係なく。
なぜか、渋谷は標的にされなかったが。
外野が投げたボールが、彩を襲う。
「わっ」
彩は小石に足をとられて、すれすれのところで免れた。はずだったのだが。
「よっしゃ! 上城、チャンス!」
彩の頭上を通ったボールを、俺は受け取ってしまった。しかも、彩のすぐ近くで。
1度目。俺は彼女に情けをかけた。
そして、2度目。絶好のチャンス。
「仏の顔も3度まで」なんて言うけれど、みんな2度目でアウトだろう。
仲間が歓喜の色を浮かべ、敵が落胆の色に染まっていく。
抵抗など出来ようもない体勢で、彼女は俺を見つめていた。
特に、感情と呼べるものなど見えない表情で、見つめていた。
「ま、しょうがないか」
こうなったら、力いっぱいぶつけるのが礼儀だろう。
勝手にそう納得することにして、俺は彩に向かってボールを叩きつけた。
「え……」
コンマ数秒の沈黙。
勝ち誇った笑みを浮かべ、彩は俺を見上げていた。
その後に起こる、大きなどよめき。それは、敵だけでなく、味方からも起きていた。
「おおー! スッゲー!!」
避けたのだ。彼女は。なんと、地面を転がって。
そのまま素早く立ち上がり、コートの中央へ遠ざかっていく。
「鈴原さんすごいじゃーん!」
「避けるのは……ね。全然、受け取れないんだけど」
その、彩とクラスメートとの会話を聞いて、大事なことを思い出した。
彩は"避け専"だったんだ……!!
「何たる失態……」
「……。いきなりどーしたんだ?」
隣で三宅が、ほっそい目で見てくるが、気にしない。
「こうなったら! おしょーさーん! お願いしまーす!」
「もうお前しかいない!」
「呪っちゃって良いからー!」
「責任はオレが持つ!」
後ろから、言い換えれば、敵クラスの外野から、意味不明な台詞が飛んできた。
見れば、真っ黒なボブヘアーの女子が、両手でボールを持っている。
(おしょーさーん!!?)
思わず、声に出して叫びそうになってしまった。
おしょーさんは外野のはずだ。何で内野でボールを持っているんだ?
見てみれば、ずいぶん人数の減ってしまった敵コートに、見慣れない顔が、おしょーさんを合わせて3人入っている。しまった、元外が入って来たんだ。
ボールを両手で持ちながら、ぽつーんと立っているおしょーさん。照りつける太陽に眼鏡を光らせながら、ぶつけるべき獲物を物色しているようだ。
その後ろでは、ちゃっかり残っている彩と金髪の不良、その他数名の生徒たちが、不敵な笑みを浮かべていた。
「ぼーっと突っ立ってないで、さっさと投げなさいよ!」
今まで、これでもかと向こうのクラスの内野を外野送りにしてきた女子が、おしょーさんを挑発している。
見た目で判断しただろ、こいつ。
おしょーさんが、肩幅に足を広げ、ボールを高々と掲げた。
目線は……って、三宅だ!!
「三宅! 逃げろ!!」
「え!? なんだよ!?」
三宅の身を案じて怒鳴ったのだが、いまいち温度が伝わっていないらしい。ムッとしたように、三宅が眉間にしわを寄せている。
おしょーさんが、ボールを掲げたまま、腰を右にひねり、左ひざを胸近くまで上げた。
「おお! やってくれます! やっちゃいますよお!? 大リーグ、野茂!!」
後ろから、口笛やら黄色い悲鳴やら、訳の分からない歓声が噴き上がる。
もうダメだ。
「大きく振りかぶってえ!?」
俺は、出来るだけ三宅から遠ざかった。
「投げたあ!!」
キレイなフォームで投げ出されたボールは、ほとんど回転せずに三宅へ吸い込まれていく。
「……っしゃあ、もらったあ!!」
それは、金髪の不良が投げた剛速球と比べれば、遅い球だった。
だからだろうか、三宅は快心の笑みを浮かべて、自分からボールを取りに行った。
センターラインぎりぎりに立ち、両手を広げる。
そこに吸い込まれるように、いびつな形をしたボールは近づいて来た。
ボールが、三宅の手に触れようとしたその時。
「……へ?」
ボールは、指先をかすめて、沈み込んだ。
口からこぼれた声と同じく、呆けきった顔が、そこにはあった。
てん、てん、てん。
三宅のスニーカーにぶつかったボールは、跳ね返されて敵陣地へ転がる。
1拍置いて。
「三宅ぇ!」
「何でこんなノロいボールも受け取れないんだよ!」
「どうした!? 何があった!?」
非難の声が、大分。疑問の声が、少々。
クラス全体が似通った反応をする中、1人だけ顔を真っ青にしている男子がいた。
ちょうど、三宅の真後ろにいた野球部だ。
「ナ……」
「え?」
「ナックルボールだ……」
クラスメートである野球部のキャプテンが、カッと目を見開き、声を震わせている。
「みんな油断するな! これはナックルボールだ!!」
「はあ!?」
珍しく、クラスが団結力を発揮した瞬間だった。
「なんだよ、ナックルボールって!?」
そして、当然のごとく湧き上がるクラスメートたちの疑問。
「変化球だよ……。大リーグで松井秀明が苦しめられた……」
ナックルボール。
回転がほとんどかからないために、空気の流れによって球の軌道が変化しやすく、打者はおろか、投手ですらどこにボールが飛んでいくか分からない魔球である。球速が、けん制球よりも遅くキャッチャーですら取り損じる事があるため、他の変化球ほど多用はされていない。
「って、なんでそんな厄介な球を普通の中学生が投げてんだよー!」
外野から響く三宅の声。
普通の中学生じゃないから投げられるんだよ。しかも、ドッヂボールで。
そして、またボールはおしょーさんの手に渡っていた。
「気をつけろ! 彼奴は侮れねえ!!」
蜘蛛の子を散らすように、俺たちはセンターラインから遠ざかった。
とは言え、狭いコートに30人以上いる。逃げる場など限られていた。
「おしょーさん! やっちゃって下さい!!」
下っ端のものとしか取れない外野の言動に応えるように、おしょーさんはボールを真上に放り投げた。
全員の視線が上空に向けられる。
ボールが戻ってきたところで、おしょーさんはバッティングマシーンよろしくボールをぶっ叩いた。
平和な体育の授業にあるまじき轟音が、グラウンドを通り越して田園風景に響き渡る。
「バレーボールだ……」
さらに空気が抜けたのか、2回りほど薄くなったボールが、奇麗なカーブを描きながら迫ってきた。
「ぎゃひっ」
「ふげっ」
「へぶっ」
ヒーロー物か、はたまた格闘物でよく聞かれるうめき声が、ところどころから発せられる。
例えるのならば、エアホッケーで壁を跳ね返るパックのように。ピンボールのボールのように。ピンを跳ね飛ばすボーリング球のように。
1人に当たったボールは、跳ね返ってまたもう1人に。その連鎖がしばらく続き、一塊になっていた一角が、奇麗さっぱり外野へ移動した。
「お前ら何やってんだああああ!! 仮にも各運動部のトップたちで固めたクラスなんだぞ!?」
あんまりな結果に、審判から猛抗議が来た。
2組と3組の体育を受け持つ、筋肉もとい田中先生。俺のクラスの担任だ。因みに、2年連続で、だったりする。
いや、今はそんなことより、どんなクラス編成してんだよこの学校。確かに運動部の部長やエースやキャプテンが、やたら多いとは思っていたが。
「見るからに文科系な奴になに外野送りにされてんだ! シャキッとしろ!!」
いや、田中。見るからに文科系だけど、おしょーさんは別格だから。あんた、去年おしょーさんの担任だっただろうが。
「気づけよ。脳ミソまで筋肉か? あ?」
「か……上城……?」
おっと、つい口に出してしまっていたようだ。
明らかに口元が引きつっている、例の野球部キャプテンに、とりあえず微笑みかけてみる。
「何か?」
「い、いや……」
両クラス共、元外が内野に入っている。内野に残っている人数は、それほど差はない。
さて、このボールを誰に当てようか。
彩は……徹底的に避けそうだな。あの金髪の人はー、当てると恐そうだし。
おしょーさんはミラクル起こしそうで恐いしなー。
うん。あの3人は避けよう。
「え? ちょ、ちょっと!?」
ボールを内野の中央に置き、エンドラインまで下がる。
持てる力の全てを持って、俺はボールに蹴り込んだ。
狙うのは、ただ1人。なぜかウチの女子の猛攻を受けなかった、渋谷のみ!
「って、結局お前も蹴ってんじゃん!!」
この際、三宅のツッコミはスルーしよう。
PKの時、キーパーの頭に当ててオウンゴールさせるいつもの要領で、渋谷に照準を合わせた。
「サッカー……?」
おしょーさんが放ったミラクルサーブと同じくらいの轟音の後、円盤型になったボールが渋谷を襲う。
渋谷は己の全神経を使い、それを回避しようをする。カッと目を見開いて、ボールの軌道を読んだ。
「うおりゃああああああああ!!」
バレー部で培ったであろうバネを生かし、渋谷は横に飛んだ。
「うあっ」
必死の逃争に巻き込まれて、背の低い女子が、1人突き飛ばされた。
「え!? あ、ごめん!」
その女子を、渋谷が急いで助け起こす。
「え、と。大丈夫?」
「大丈夫。渋谷君こそ、足平気だった?」
彩だった。
「……三宅」
「うえ!?」
やっとの思いで、三宅が遥か野球グラウンドまで飛んでいったボールを取って戻って来た。
その三宅に向かって、いつも試合で、後輩を鼓舞する時に使う笑顔を作る。
「渋谷を潰す」
両クラスだけでなく、審判の田中先生までが固まった。
「え? あの、上城?」
「渋谷を集中攻撃しろ。俺にボールを回せ」
「いや、ちょっと――」
「返事は?」
「……はい」
三宅はクラスのリーダー的存在だ。こういう時は、ウチの学級委員長よりも使える……もとい、頼りになる。
「みんなー! 聞いたとおりだ! 言う事は聞いとけー!!」
「おー!!」
珍しく発揮された団結力が、ここで完熟した。
「彰……?」
「彩、さがってなさい。危ないから」
困惑しきった表情をしながら、彩が俺を見てくる。
そんな彩を、おしょーさんが端に引っ張っていく。
いつも余裕たっぷりな顔をしているから、彩のこういう顔を見ると清々する。
「って、お前ら! 何サイドに避けてんだよ!?」
彩のクラスメートが、内野の両端に固まっている。道の真ん中で、渋谷が俺と三宅に挟み撃ちされているようだ。
「だって近くに寄ったら当てられそうだしいー」
「この裏切り者ー!!」
彩がしきりに、口パクで「抑えろ」と言っている。
けれど、それだけは飲めない。
僕は、渋谷を真っ直ぐ見据えた。
「覚悟しろ?」
「今年の2年は楽しいわねー」
グラウンドに接している保健室から、保健の先生がその様子を見物していた。
「せんせえ。仕事して下さいよー」
「廊下でスライディングなんかしてるのが悪いんでしょうが」
勝手に救急箱を漁る男子生徒を尻目に、保健の先生は窓から離れようとしない。
「体育のどこがそんなに楽しいんスか?」
「上城くんと三宅くんが、相手チームの男子を蜂の巣にしてんのよぉ」
「え!? 先輩たちが!? うっわー。その男子かわいそー。上城先輩に目えつけられたかー」
「あ、上城くん当てられちゃった」
「うっそ!? だれだれだれ!? だれが当てたの!?」
「ほら、あそこの茶髪の。おとなしそうな女子」
「え!? 女子ぃ!? どこ!?」
「さっすが。我が保健委員ね」

