「はー…」
今日で何回ため息を吐いたんだか。
ため息の原因は、この2人。
「初お姉ちゃんちだね!」
「なんだか語路が微妙ね。それ」
この、ヘンテコな親友約2名。こいつらが今からあたしんちに来るからだ。
「姫の家にはどんなのが憑いているのかしら〜」
何が!? なんでうっとりしてんだよ! おしょー!!
「何か"いたら"、徹底的に追い払わなきゃね!」
「オフコース」
おしょーはズビシッと親指を上に立てた。日光に当たって眼鏡が光っている。
「"何か"ってなに……」
別にこの2人が嫌というわけじゃない。彩の家にもおしょーの家にも、このメンバーで行った事はあるんだ。
そう、別にこの2人のせいじゃない。むしろ他の奴が家に来る方がもっと嫌だ。
とうとう、家の前まで来てしまった。
「おっきいねー!」
家の大きさで驚いてるようじゃ、この先は心臓が止まるぞ。
「花屋以上ね。カラフル過ぎて少し眩しいわ」
この花くらいで眩しがってたら、家に入った瞬間に目を潰されるぞ。
「おい、お前ら」
2人は、不思議そうにあたしの顔を見た。
「何を見たとしても、あたしの部屋にはたどり着け」
2人は、意味不明そうに互いの顔を見合わせた。
あたしは、肺から十分に空気を追い出すと、また大量に空気を取り入れる。
そして、意を決して玄関のドアを開け放った。
「……」
眼前に広がるパステルカラー。
かのルイ13世も愛したというロココ調の白亜の椅子が、螺旋階段の横に置かれている。
まわりに溶け合っているんだかいないんだか、何ともいまいちな椅子には、小柄な女性ほどの大きさをしたクリーム色のテディベアが、腰かけていた。そのアンティークベアの体には、やはり純白のエプロンドレスが宛われている。金の刺繍の施された、精巧なレースで出来ていた。
テディベアの服だけじゃあない。
階段や床に敷かれた黒や暗褐色の絨毯にも、金の糸で細かい刺繍が施されてあった。
無意味に置かれた棚や小さなテーブルの上にも、カーテンにも、白いレースがふんだんに使われている。
バダムッ!
「って閉めるなああああ!」
いつまで経っても見慣れない我が家。ほんの少し現実から目を逸らしている隙にだった。
あいつら、よりにもよって逃げやがったな。
「てめーらだけ狡いぞこのヤロー!」
図体がでかいだけじゃなく、あたしは力にも自信があった。
なのに、なんで開かないんだこのヤロー!
この2人が束になったって負ける気がしなかったのに!
その時、外から思いもしない台詞が聞こえてきた。
「いい加減、現実を受け入れなさい。彩」
「って、ドア塞いでんの彩だけかよ!?」
信じられなかった。あのちびっちゃくて細い彩が、こんな馬鹿力だったとは。
「行き過ぎたメルヘンワールドだけはダメなんだってば!」
ドア越しに、甲高い叫び声が聞こえた。
彩ってこういうのが苦手だったのか。意外だ。
「姫、ちょっとドアから離れてて。火事場の馬鹿力を発揮しちゃった彩は、生半可な事では動かないから」
「ぎゃあああああ! ふざけんじゃねーよ! 私、死ぬ!!」
ドスの効いた、地獄の底から這い上がってくるような断末魔の後、玄関の大きなドアは、吹っ飛ぶように内側へ開いた。
「人んちの玄関、壊すなよなー」
ちなみに、うちの玄関は内開きのアメリカンスタイルだ。
おしょーが高々と右足を上げている。ドアを蹴破った犯人は、どうやらこいつのようだ。
「おしょー。それ絞まってる。絶対入ってる」
彩の首には、おしょーの腕が巻きついていた。彩が必死におしょーの腕を叩いてる。ギブって言ってる。物凄い速さだ。
一息置いて、パッと腕が外された。
「お姉ちゃん。この巨大熊の襟元掴んで、下腹に膝蹴りしても良い?」
とうとう、彩がやさぐれ始めた。全身に鳥肌を立たせている。
「頑張ってあたしの部屋までたどり着きな。普通の部屋だから」
「早く行こう。今すぐ行こう」
もうこの空気は吸いたくないとでも言うように、彩はあたしとおしょーの腕を引っ張った。
こりゃ重症だ。あたしの親に会わせた日にゃ、ぶっ倒れるんじゃないか?
「あらぁ、お友達が来てたのぉ?」
眩しい。とにかく眩しい。別に、光源があるわけでもないのに、ドアの陰からキラキラ輝く物体が現れた。
甲高い声と一緒に。
「何――ひぎっ!?」
奇妙な擬音を発して、彩は腰を抜かした。
すかさず、おしょーが助け起こす。
むりやり立たされたから、膝が笑っている。
向こうのドアから出て来たのは、おとぎの国のお姫様も真っ青なほどにドレスアップした母だった。
「もう、お友達が来るなら事前に連絡するように言ってるざんしょ」
彩の鳥肌が、余計にひどくなった。
黒い牛革のコルセットに締め上げられた腰を振りながら、不自然にボリュームのあるスカートを引きずって、こっちに近づいてくる自称プリンセス。
胸元に大きくプリントされた、たれぱんだが視線を集める。
彩が、あたしと母を交互に見ている。
「だれ」
「おふくろ」
一瞬、廊下の時間が止まった。
「ダメだよ。王侯貴族を誘拐してきちゃ」
「彩。逃げちゃ駄目」
さすが、おしょー。落ち着き払っている。
「徳川の末裔だったりする?」
彩の現実逃避が酷くなった。
「あたしの苗字は太田だよ」
「血が繋がってなくても旧宮家と関わりがある」
「おふくろの実家は専業農家」
ちなみに、親父の実家は八百屋だ。現役バリバリの。
しばらく、彩は動かなくなった。
何かを考え込んでいるのか、単に放心しているのか。
「ふ……」
「ふ?」
彩は薄く微笑んだ。世の中に絶望し、何もかもを諦めたかのように。
「素敵なドレスですね。何かパーティーとかあったんですか?」
そして、お得意の営業スマイルをたたえて、おふくろに話しかけた。目のすわり方が、尋常でなかったが。
「まあ、ありがとう。特に何かあった訳ではないのよ。これは普段着だから」
と、おふくろはとんでもない事を言う始末。
彩の営業スマイルが微妙に崩れた。
その横で、おしょーが礼儀正しくも手を挙げる。
「あのー、1つお聞きしますが。このドレスはマリー=テレジアをテーマにしていますか?」
「あらあ〜。渋いところを突いて来るじゃありません事ですわ〜」
なに余計な事してんだ。おしょー。
おふくろにしてみれば、ツボを突いた良い質問だったんだろう。ただでさえ高いテンションが、またさらに上がった。
「ね! ね! これは分かる!? 今月の新作なんだけど……」
さっきから彩の視線が痛い。「どうにかしろよこの状況」って一字一句漏れずに伝わってくる。
その冷え切った視線はそのままで、彩はおもむろに口を開いた。
「姫花ママはコスプレ好きなの?」
「ほんっとーに申し訳ありません!」
お願いだから名前で呼ばないで下さい。
「あ〜ら、コスプレイヤーとは次元が違いますわ。ワタクシは中世ヨーロッパのお衣装をよお〜く吟味して、調べ尽くして着ているのだから」
よお〜く吟味して調べ尽くした結果が、たれぱんだかよ。
「あのお、どうしてこうゆう恰好をするようになったんですか?」
彩が、ご丁寧に手を挙げて質問をした。
途端に、おふくろの頬が緩む。
「あれは、ちょうどワタクシが貴方達くらいの歳だったかしらあ……」
「回想モードに入っちゃったよ」
どうしてこう、話しを長引かせるような余計な事をするんかな。この2人は。
「ワタクシ、悩み多き思春期真っ只中でしたの」
いい年こいたオバサンが、頬に手を当ててため息を吐いても様にならない。
「毎日思い病んでいましたわ。なにゆえ貴族の風格と心構えを備え合わせたワタクシが、農民の如くラディッシュの収穫を強制させられねばならぬのか……!」
「実家が大根農家だからだろ」
「ああ……! あの忌まわしき泥の悪臭がこびりついた地下足袋……!」
人の話なんざ聞いちゃいない。
「そんな屈辱的な生活を余儀なくされていた時でしたわ。白馬の王子様が現れたのです!」
「おしょーさん。何かタチ悪いの呼んでよ」
彩がイラついて来た。
自分に酔いまくる自称プリンセスは、そんな事もお構いなしだ。
「ワタクシが、ラディッシュの積み降ろしで腰を痛めていた時でしたわ。今の夫が、マントを翻しやって来たのです!」
テンションは最高潮。花嫁以上に着飾ったおふくろは、ほんのりと顔を赤らめる。
「軽トラに乗って!」
「白馬じゃないじゃん」
「夫もワタクシと同じく、優雅で気品溢れる貴族でした。けれども、彼も親から強制的にお野菜運びをさせられていたのです」
もっかい言おう。人の話なんざ聞いちゃいない。
「農家と八百屋だろ」
「生産者と販売者ね」
あたしと、おしょーのツッコミが見事に被った。
「きぃー! 思い出させないでよ!」
突然、おふくろが金切り声を上げた。
「農家に生まれたらビラビラレース着ちゃいけないの!? 三本ジャージに地下足袋じゃなきゃいけないの!? 今は四民平等の時代なのよ!? 21世紀なのよ!?」
「当時は20世紀だろ」とか、「言ってる事が明治だよ」とか、ツッコミたいけど出来るテンションじゃない。
「ああ開き直ってやりましたとも! 王子の恰好のパパに便乗しちゃってやりましたとも!」
「当てつけかよ……」
いくらなんでも情けなすぎる。
「白タイツにブーツを履いて野菜を運送しているんだもの! 私にだって出来るわ!」
「卸業者を通さずに産地直送……。こだわりの八百屋ね」
おしょー。今、感心するところ、そこじゃない。
「この恰好でラディッシュ引っこ抜くくらい!」
「すげえ!」
初めて、あたしと彩のリアクションが、一字一句違わずに合わさった瞬間だった。
「地下足袋さえ履いとけば!」
「ダサ!」
ミラクルは続く。
「親兄弟、親戚のみならず、近所の人にもとやかく言われたわ! だけど、ワタクシは戦ったの! カボチャパンツのパパと一緒に!!」
ちょっと待て。
「なんで、お姉ちゃんは貴族にならなかったの?」
「彩、訊くな」
「だって、たれぱんだなママにカボチャパンツなパパ――」
「それを言うなあああああ! 今ひそかにショック受けてんだよ! 難しい年頃なんだよ!!」
親父が、宝塚みたいな恰好をしてるのは認めるよ。だけど何だよ。カボチャパンツって!
「ごくごく普通の一般家庭に生まれた奴に分かるか!? これが普通だと思って、小学校の入学式に出たあたしの気持ちが! ピンクの総レースを引きずりながらだぞ!? 明らかに引きまくってる保護者に"見ちゃだめよ"って言われたんだぞ!?」
あたしは叫んだ。声をあらん限りに張り上げて。涙と鼻水を隠しもせずに。
「いろいろ苦労してるのね……」
「ねー」
本当に分かっちゃいないだろ。特に、彩。
おしょーと彩の、憐れむような上から目線に腹が立つ。
「だから、あたしは決めたんだ。エレガントとは無縁の不良になってやるって!」
「なんちゃって、だけどねー」
「彩! うるさ――」
「当てつけがましい所が、お母様そっくりね」
無遠慮に割り込んで来たその台詞に、あたしの背筋は冷たくなった。
怒りのこもった目で、おしょーがこってを見上げていたからだ。
「お母様が、どんな想いで姫を育てたと思っているの?」
怒りのこもった、真面目な声だった。
「"姫花"。お姫さまの"姫"にお花畑の"花"……! 英訳してプリンセスフラワー!! これで姫も宝塚ばりの恰好をして堂々と自分の名前を名乗れていたなら、この上なくパンチのあるネタに仕上がっていたのに!!」
ぜんっぜん真面目なんかじゃなかった。
「明らかに自分のシュミに娘を巻き込むためだけにつけられた名前なんか堂々と名乗れるかー!」
だいたい、なんだよネタって! そーゆーの期待すんのは彩だけで十分だ!
「いい加減になさい!」
ぎゃーぎゃー騒いでいる中、例のキンキン声が鼓膜をつんざく。見てみると、おふくろが顔を真っ赤にしていた。
「ワタクシはただ、あなたに自分のような人生を歩んでほしくないから! 後悔ばかりしている人間にだけはなってほしくないから! だからこそ、姫花という名前をつけたの!」
肩を震わせて、おふくろは叫んだ。
「のぶ代なんてエレガントさに欠ける名前、あなただって嫌でしょう!?」
ほんの一瞬でも言い過ぎたと後悔した、あたしがバカだった。
「のぶ代さんっていうんだ」
「歳相応ね」
ちなみに、43歳のパートタイマーだったりする。
「とにかく! 子育てに嫁姑問題。揚句の果てには、ご近所付き合いまで大変なの! そのストレスを中世ヨーロッパへトリップする事で発散してるんだから! 良いじゃないの、裸以外では何着たって捕まらないんだから!」
現実逃避してるって、遠回しに認めちゃったよ。
「何着たって自由!」
「あたしん部屋に行くぞ」
握りこぶしを堅くするおふくろを置いて、あたし達は階段を上って行った。

